※この記事は、認知症グループホームで10年以上勤務し、現在は管理者として働く筆者が執筆しています。
ご本人・ご家族・介護職員、それぞれの立場をふまえたケアの視点をお届けします。
【この記事で伝えたいこと】
ヒヤリハットが書かれない原因を、職員の意識だけの問題として考えてしまうと、事故を防ぐための大切な情報は失われてしまいます。
利用者の安全を守るためには、職員が安心して報告し、その情報をケアの改善へつなげられる組織づくりが欠かせません。
この記事では、ヒヤリハットが生きる組織と生きない組織の違い、管理者が本当に見るべき視点について解説します。
【要点】
- ヒヤリハットが書かれない本当の理由が分かる
「忙しい」「書く時間がない」など、職員がヒヤリハットを書けなくなる背景と、それを個人の意識だけの問題としてはいけない理由を解説します。 - 書かれない情報が事故につながる仕組みを理解できる
情報共有不足による事故の芽の見逃しや、事故によってさらに忙しくなる負のスパイラル、ヒヤリハットが組織にとって重要な情報である理由を解説します。 - 管理者が本当に見るべき視点と、事故を防ぐ組織づくりが分かる
ヒヤリハット件数だけで安全性を判断する危険性や、心理的安全性・情報共有・勤務時間内で書ける仕組みなど、利用者と職員を守るために必要な組織づくりの考え方を解説します。
【この記事で分かること】
・書けない職場で起こる事故の負のスパイラル
・ヒヤリハット件数だけでは安全性を評価できない理由
・利用者と職員を守るために、管理者が整えるべき環境とは何か
ヒヤリハットを、事故予防につながる「生きた情報」として活用するための考え方が身に付きます。
※詳しい説明・根拠・事例は、このあと本文でやさしく解説します。
はじめに
ヒヤリハットは、利用者を守るために欠かせない情報です。
転倒しそうになった。
誤薬になりそうだった。
立ち上がろうとして危険だった。
そうした小さな出来事を共有し、次の事故を防ぐこと。
それがヒヤリハットの役割です。
しかし、どれほど重要性を理解していても、その情報が組織の中で生かされなければ意味がありません。
実際、介護現場では、
「忙しくて書けない」
「書く時間がない」
「書くと怒られる気がする」
「書いても何も変わらない」
こうした理由から、ヒヤリハットが十分に書かれないことがあります。
すると、事故になりかけた出来事や、小さな違和感は共有されないまま消えてしまいます。
その結果、本来であれば防げたかもしれない事故の芽を見逃してしまうこともあるでしょう。
もちろん、忙しい現場では仕方がない場面もあります。
ですが、もし「書かれないこと」が当たり前になっているとしたら、それは単なる個人の問題ではありません。
組織全体が抱える課題なのかもしれません。
今回は、「ヒヤリハットが書かれない職場」で何が起こるのかを、組織づくりやマネジメントの視点から考えてみます。
ヒヤリハットが書かれない理由
職員がヒヤリハットを書かない理由として、よく挙げられるのは次のようなものです。
- 面倒だから
- 忙しいから
- 書く時間がないから
- 怒られそうだから
- 評価が下がりそうだから
- 自分のミスを残したくないから
どれも現場で働く人にとっては理解できる理由です。
誰でも失敗は認めたくありません。
忙しい勤務の中で記録を書くことは負担になります。
また、ヒヤリハットを書いたことで『なぜ、このような状況も予測できなかったのか』と叱責された経験があれば「もう書きたくない」と感じるのも自然なことです。
しかし、ここで考えたいことがあります。
本当に問題なのは、職員の意識なのでしょうか。
職員に「もっと意識を高く持ちなさい」と伝えるだけでは、根本的な解決にはつながりません。
「忙しい」は誰の責任なのか
ここで一つ、考えてみたいことがあります。
「ヒヤリハットを書く時間がありません。」
現場ではよく聞く言葉です。
では、この状況は誰の責任なのでしょう。
職員でしょうか。
それとも、組織でしょうか。
もちろん、時間の使い方を工夫することは必要です。
しかし、勤務時間内に終わらないほど業務量が多いのであれば、それは個人だけの問題ではありません。
人員配置は適切だったのか。
記録方法は効率的なのか。
他の業務を見直す余地はないのか。
こうしたことを考えるのは、組織の役割です。
職員が「書かなければならない」と理解していても、書けない環境では続きません。
だからこそ「もっと頑張って書こう」ではなく、
「書ける環境になっているか」を見直すことが、管理者には求められるのです。
サービス残業が当たり前になる職場
「少しだけ残って書いてください」
「みんなそうしているから」
「10分くらいなら大丈夫でしょう」
このような言葉が、職場の中で交わされることもあります。
一回は10分でも、それが毎日続けば大きな負担になります。
勤務時間外に書くことが前提になると、職員は次第に考え始めます。
「今日は書かなくてもいいかな」
「これくらいなら報告しなくても大丈夫だろう」
これは決して、職員の意識が低いからではありません。
人は、負担ばかりが増えるような状況を、長く続けることはできないからです。
つまり、どれほど重要だと理解していても、負担が大きすぎれば続かなくなるのです。
ヒヤリハットが重要であるほど「勤務時間の中で書けること」が前提でなければなりません。
また、このような記録は、継続して積み重ねられていくことが非常に重要です。
だからこそ、職員個人の善意や無償の時間に支えられるのではなく、
無理なく継続できる仕組みを整える必要があります。
書かれない情報は、事故の芽になる
ヒヤリハットが書かれないことで最も困るのは誰でしょうか。
それは利用者です。
例えば、
「最近、立ち上がる回数が増えた」
「夜間になると歩き回ることが多い」
「車椅子から前へずり落ちそうになる」
一つひとつは事故ではないかもしれません。
しかし、複数の職員が同じような経験をしていたとしたらどうでしょう。
情報が共有されていれば、
「最近危ないね」
「見守り方法を変えよう」
「センサーの位置を見直そう」
「トイレ誘導のタイミングや、入床の時間を変えてみよう」
そんな対策につながるかもしれません。
ところが誰も書かなければ、その気付きは個人の経験のまま終わってしまいます。
もちろん、ヒヤリハットを書けばすべての事故を防げるわけではありません。
事故にはさまざまな要因があり、防ぎきれないものもあります。
しかし、共有されていれば防げた可能性がある事故は、確かに存在します。
だからこそ、小さな違和感を組織全体の情報に変えることが大切なのです。
負のスパイラルはこうして始まる
ヒヤリハットが書かれない職場では、このような悪循環が起こることがあります。
情報が共有されない。
↓
小さな変化に誰も気付けない。
↓
事故が起きる。
↓
骨折や入院につながる。
↓
ADLが低下する。
↓
介助量が増える。
↓
職員がさらに忙しくなる。
↓
ヒヤリハットを書く時間がなくなる。
つまり、
忙しいから書けない。
書けないから事故の芽を見逃す。
事故対応でさらに忙しくなる。
忙しさが、さらに忙しさを生み出してしまう。
こうした負のスパイラルが生まれてしまうのです。
実は経営的にも大きな損失になる
管理者は「残業を減らしたい」と考えます。
それは人件費だけではなく、職員の働きやすさを守るためにも大切なことです。
例えば、ヒヤリハットを書くための15分を確保できず、
危険な情報が共有されないまま、後に転倒や骨折が起きたとしたらどうでしょう。
家族への連絡。
受診対応。
救急搬送への付き添い。
事故報告書の作成。
必要に応じた行政への報告。
カンファレンス。
再発防止策の検討と職員への周知。
病院との連携と入院中の情報共有。
退院支援。
ADL低下後の介助量の増加。
場合によっては、新たな福祉用具の導入やケアプランの見直しなども必要になります。
一件の事故によって、結果として何十時間もの対応が必要になる可能性もあります。
もちろん「15分残業してヒヤリハットを書けば事故は防げた」と断定することはできません。
しかし「あの情報が共有されていれば違う対応ができたかもしれない」と振り返る場面は、多くの介護現場で経験されているのではないでしょうか。
ヒヤリハットを書く時間は、単なるコストではありません。
利用者の安全と組織全体を守るための投資でもあるのです。
管理者が本当に見るべきもの
ヒヤリハットを運用するうえで、管理者が陥りやすい落とし穴があります。
それは、ヒヤリハットの件数だけでケアの質を判断してしまうことです。
「今月は30件だった」
「先月より少ないから、安全に過ごせたのだろう」
一見すると自然な分析のように思えます。
しかし、本当にそうでしょうか。
ヒヤリハットは事故件数ではありません。
職員が危険に気付き、チームへ共有した件数です。
もし件数が減った理由が、
「危険が減ったから」ではなく、
「忙しくて書けなかった」
「書く時間がなかった」
「書くと責められる」
「評価が下がる気がする」
という理由だったとしたらどうでしょう。
実際には危険は減っていないにもかかわらず、管理者だけが「安全になった」と思い込んでしまうかもしれません。
それは、ヒヤリハット本来の役割とは真逆の評価です。
件数だけでは、安全性やケアの質を測ることはできません。
件数の増減だけでなく、内容や背景、その後の改善まで見る必要があります。
管理者が見るべきなのは、
- 職員が安心して書ける環境になっているか。
- 勤務時間内に書ける仕組みがあるか。
- 書いた内容がチームで共有されているか。
- ケアの改善につながっているか。
- 書いた職員が責められていないか。
こうした「情報が生きる仕組み」があるかどうかです。
心理的安全性が、事故の芽を見えやすくする
近年、多くの業界で「心理的安全性」という言葉が注目されています。
心理的安全性とは、
失敗や疑問、気付きを伝えても、責められたり不利益を受けたりしないと感じられる環境のことです。
介護現場で言えば、
「転びそうでした」
「危ないと感じました」
「私の対応にも改善点があったと思います」
そんな言葉を安心して言える職場です。
反対に、
「そんなことを書く必要はない」
「また面倒な仕事を増やした」
「あなたの責任だ」
そんな反応をされる職場では、誰も本音を話さなくなります。
すると危険は減るのではなく、見えなくなるだけです。
見えない危険ほど、組織にとって恐ろしいものはありません。
管理者の仕事とは
管理者の仕事は、ヒヤリハットを書けと指示することではありません。
ヒヤリハットを書ける環境をつくることです。
勤務時間の中で書ける仕組みを整える。
失敗を責めるのではなく、チーム全体の学びとして共有する。
書かれた情報を改善につなげ、
「書いてよかった」と職員が感じられる経験を積み重ねる。
その積み重ねが、ヒヤリハットを単なる書類ではなく、利用者を守るための「生きた情報」に変えていきます。
『ヒヤリハットが少ない施設』が良い施設なのではありません。
『ヒヤリハットを安心して報告し、その情報をケアの改善につなげられる施設』こそが、安全な施設です。
事故をゼロにすることは難しいかもしれません。
しかし、小さな危険の芽を早く見つけ、チームで考え、次のケアに生かせる組織をつくることはできます。
職員が書かないことを責める前に、安心して書ける職場になっているかを振り返る。
そこから、利用者と職員の双方を守る組織づくりが始まるのではないでしょうか。
関連記事:介護職の業務とヒヤリハットについて
介護職の業務とは何かを理解すると、ヒヤリハットの見え方も変わります。
このシリーズでは、介護職の本質から、ヒヤリハットの役割、書き方、そして組織づくりまでを体系的に解説しています。
- ① 介護職の業務とは何か?
介助は目的ではなく、業務を実現するための手段である。 - ② ヒヤリハットはなぜ大切なのか?
事故報告ではなく、利用者を守るための情報として考える。 - ③ 良いヒヤリハットの書き方とは
チームの役に立つヒヤリハットを書くための実践編。 - ④ ヒヤリハットが書かれない職場で起きること
管理者の役割と、安心して報告できる組織づくりを考える。
ここにんでは、認知症介護を”楽にする”ためのヒントとなるような考え方、技術をたくさん発信しています。
詳しくは ➡【はじめての方へ ここにんってどんなブログ?】をご覧ください!
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