※この記事は、認知症グループホームで10年以上勤務し、現在は管理者として働く筆者が執筆しています。
ご本人・ご家族・介護職員、それぞれの立場をふまえたケアの視点をお届けします。
【この記事で伝えたいこと】
介護施設の“当たり前”の中には、無意識のうちに本人の尊厳や自立を損なってしまう関わりが潜んでいます。
この記事では「正しさ」や「効率」ではなく“その人にとってどう感じられるか”という視点からケアの本質を見直し、日々の関わりをより良いものにしていくための考え方を解説します。
【要点】
- ケアは「正しさ」ではなく「伝わり方」で決まる
認知症の方の理解や感情の特徴から、正論が不安や拒否を生む理由を解説します。 - “当たり前”がズレを生む理由が分かる
時間・安全・ルールといった前提が、なぜ過剰ケアや尊厳の低下につながるのかを整理します。 - “その人にとってどうか”で考えるケアの視点が身につく
安心と尊厳を守るための、実践につながる判断軸と関わり方が分かります。
【この記事で分かること】
・介護施設の“当たり前”が、なぜズレを生むのか
・正論・効率・安全を優先した関わりが与える影響
・“その人らしい生活”を支えるためのケアの本質的な視点
介護職・家族介護のどちらでも、日々の関わりを振り返り、ケアの質を高めるための判断軸が整理できる内容です。
※詳しい説明・根拠・事例は、このあと本文でやさしく解説します。
はじめに
ここまで、介護施設の“当たり前”を見直すというテーマで、
・食事や服薬
・尊厳やプライバシー
・関わり方
・環境
・施設都合
といった視点から、多くの項目を見てきました。
そして最後に残る問いは、とてもシンプルです。
私たちは、何を大事にしてケアをしているのか。
この問いに対して、自信を持って答えられるでしょうか。
忙しさの中で、
正しさの中で、
慣れの中で、
いつの間にか見失ってしまうものがあります。
今回は、最後の6つの視点から
“ケアの本質”を考えていきます。
正論でぶつかる
「それは危ないからやめてください」
「今はその時間じゃありません」
これは、職員にとっては正しい言葉なのでしょう。
しかし、認知症の方にとってはどうでしょうか。
・なぜ危ないのかが分からない
・なぜ今ダメなのかが理解できない
結果として、
「否定された」「怒られた」という感情だけが残る
ことがあります。
認知症の方は、出来事そのものは忘れても、
そのときに感じた“感情”は強く残ることがあります。
👉 詳しくはこちら
→「認知症と記憶と感情の話 ~なぜ“嫌な気持ち”だけが残るのか?~」
私たちはときに、
“正しさ”を優先するあまり、
“伝わるかどうか”を置き去りにしてしまいます。
ケアとは、正しさを押し通すことではなく、
相手に届く形に変換することです。
そしてそのために本当に必要なのは、
知識だけではなく「目の前の人を見る力」です。
👉 詳しくはこちら
→「認知症ケアに知識は必要? ~本質は「目の前の人」に寄り添うこと~」
相手の世界に飛び込むという視点
認知症ケアにおいて、もう一つ大切な視点があります。
それは「相手の世界に飛び込む」ということです。
例えば「旦那さんが生きている」と信じている女性のご利用者がいたとします。
その方に対して、
「旦那さんはもう亡くなりましたよ」
と伝えることは、“事実としては正しい”かもしれません。
しかし、その言葉は本当に相手に届くのでしょうか。
正しさが、混乱と不信を生むことがある
認知症の方は、
・過去の記憶が現在として存在している
・時間の感覚がずれている
といった状態にあります。
その中で突然、
「もう亡くなっていますよ」
と伝えられたとき、
・記憶とのズレに強い混乱が生じる
・「そんなはずはない」と不安になる
・職員に対して不信感を抱く
といった反応が起こることがあります。
場合によっては、
「嘘をついている」
「勝手に死なせた」
といった感情にまで発展し、
信頼関係が崩れてしまうこともあります。
まずは「どの世界にいるのか」を知る
だからこそ最初に必要なのは、
相手が今、どのような世界に生きているのかを知ることです。
例えば、
「旦那さん、お元気なんですね」
「最近はどうされていますか?」
といった形で、
相手の語る世界を尊重しながら関わることで、
その人の“今の現実”が見えてきます。
「合わせること」と「嘘をつくこと」は違う
ここで誤解されやすいのが、
「話を合わせる=嘘をつくことではないか」
という点です。
しかし私は、この二つは違うものだと考えています。
相手の世界に飛び込むというのは、
相手をだますことではなく、理解しようとする姿勢です。
一方で、
正しさを押し通すことは、
自分の世界を優先することでもあります。
ケアとは「現実を共有すること」ではなく「安心を共有すること」
認知症ケアにおいて大切なのは、
“現実を一致させること”ではなく、
安心を共有することです。
たとえ事実と異なっていたとしても、
・安心できる
・穏やかに過ごせる
・信頼関係が保たれる
のであれば、それは決して間違った関わりではありません。
正しさは一つではない
認知症ケアにおける「正しさ」とは、
単なる事実ではなく、
その人にとってどう感じられるかによって変わるものです。
だからこそ私たちは、
正しさを押し通すのではなく、
相手に届く形に変換する力が求められているのではないでしょうか。
時間で動かす
「もう時間なので行きましょう」
「ご飯の時間なので座ってください」
この言葉、日常的に使われていないでしょうか。
もちろん、施設運営には時間の管理が必要です。
しかし、
・本人がまだ眠い
・今やっていることを続けたい
・食べる気分ではない
そんな“その人の時間”は、尊重されているでしょうか。
いつの間にか、
「生活を支える場」が「時間で動かす場」になってしまう
これが、施設化の正体です。
生活を支えるという視点
確かに、集団生活を送る中では、
ある程度の目安を持って動く必要があります。
すべてを自由にしてしまえば、
現場は回らなくなってしまうでしょう。
しかし、その“時間”を重視しすぎたとき、
そこは本当に『自分らしく過ごせる場所』と言えるのでしょうか。
自分たちの生活に置き換えて考える
私たち自身の生活を振り返ってみても、
・たまには寝坊をする日がある
・夜更かしをする日もある
・食欲がなくて食事を抜くこともある
そんな“揺らぎ”があるのが、自然な生活ではないでしょうか。
毎日同じ時間に起きて、
毎日同じ時間に食べて、
毎日同じ時間に寝る。
それは「整った生活」かもしれませんが、
必ずしも「その人らしい生活」とは限りません。
時間ではなく“生活”を支えるという視点
だからこそ私たちは、
時間に合わせるのではなく、
その人の生活に時間を合わせる視点を持つ必要があります。
それが、
“生活を支援する”ということの本質であり、
介護の根幹ではないでしょうか。
見守り過剰
「危ないから付き添います」
「転びそうだから座っていてください」
安全を守るための見守り。
これはとても重要です。
しかしその一方で、
・自分で動く機会を奪っている
・挑戦する機会を奪っている
可能性もあります。
見守りが増えるほど、本人の能力は低下していきます。
つまり、安全を守るための行動が、結果的にリスクを高める
という逆転が起こります。
見守りの難しさと個別性
見守りをどの程度行うかというのは、
個別性が極めて高く、画一的には語れない、とても難しい部分です。
転倒リスクや身体状況、認知機能によって、
必要な関わり方は一人ひとり異なります。
だからこそ、
「どこまで見守るか」の正解を見つけることは非常に難しく、
常に迷いながら判断している現場も多いのではないでしょうか。
見守られる側の感覚を想像する
少し、視点を変えてみましょう。
例えば、
立ち上がっただけで、
ニコニコした男性職員がすぐに寄ってきて、
毎回「どうしましたか?」と声をかけてきたらどうでしょうか。
また、
廊下を歩いていると、
ほんの少し離れたところにいる職員が、
自分と歩調を合わせて付いてきているとしたら――
それを私たちは、
「安心だ」「安全だ」と感じるでしょうか。
大切なのは「どう感じているか」という視点
もちろん、そのような関わりが必要な方がいることも事実です。
安全を守るために、見守りが不可欠な場面は確実に存在します。
しかし同時に大切なのは、
「相手はどう感じているだろうか」
という視点ではないでしょうか。
見守りは、本当に“その人のため”になっているか
見守りは、
行為そのものが重要なのではなく、
その人にとってどう受け取られているかが重要です。
そしてもう一つ、
「相手にとって本当に良い関わりとは何か」
を問い続けること。
その積み重ねが、
“見守り過剰”と“必要な見守り”を分ける、
大きな分かれ目になるのだと思います。
見守りは“量”ではなく“質”であり、
増やせば良いものではないという視点も、必要なのかもしれません。
私物を借りる
とっさの判断が生む“グレーな行為”
例えば、トイレ介助に入った場面。
パッドやリハビリパンツを交換しようとしたとき、
その方の在庫が切れていることに気づく。
取りに行くためにその場を離れることも難しい。
他の職員も近くにいない――
そんな状況の中で、
「とりあえず他の方のものを借りる」
という判断がされることがあるかもしれません。
現場では、決して珍しいことではないでしょう。
それは本当に「借りる」になっているか
しかしここで、一度立ち止まる必要があります。
パッド一枚、おしりふき一枚であっても、
それらはすべて、その方が自分のお金で購入したものです。
仮に、
・全く同じ製品を
・同じ枚数、確実に返す
ことができているのであれば、まだよいのかもしれません。
ですが実際には、
・別の種類のものを使ってしまう
・借りたこと自体を忘れてしまう
といったことも起こり得ます。
そのとき、それはもはや“借りる”ではなく、
「本人の財産を無断で使用している」
状態だと言えるのではないでしょうか。
小さな行為が、尊厳を左右する
「パッド一枚くらい」
そう感じてしまう気持ちも、現場では理解できます。
しかし、
そうした“小さな例外”の積み重ねが、
・本人の持ち物に対する扱い
・その人の権利への意識
・ケアの質そのもの
を、少しずつ変えていきます。
だからこそ大切なのは、
その行為が、その人の尊厳を守れているかどうか
という視点ではないでしょうか。
尊厳というのは、特別な場面だけで守られるものではなく、
こうした日常の小さな関わりの中にこそ現れるものです。
👉 詳しくはこちら
→「介護施設の“当たり前”を見直す⑥ ~その関わり、自立と尊厳を奪っていませんか?~」
医療的な物品は、さらに慎重に扱う
また、現場でありがちなのが、
・解熱鎮痛剤1錠
・未開封の目薬や軟膏
といったものの貸し借りです。
しかし、これらは単なる“物品”ではなく、
医療的な管理が必要なものです。
服薬に関しては、
・医師の判断
・飲み合わせの確認
・その人に適した処方
が前提となります。
たとえ少量であっても、
職員の判断だけで使用することは避け、必ず医療に相談することが必要です。
職員の判断だけで決めていないか
見落とされがちな視点として
「職員の判断だけで決めていないか」ということがあります。
現場では、
・今この場をどう乗り切るか
・効率よく対応するにはどうするか
といった視点で判断が行われがちです。
しかしその判断が、
本人の権利や意思とは切り離されたものになっていないか。
この問いは、常に持ち続ける必要があります。
「困ったときの柔軟な対応」と「越えてはいけない一線」は、似ているようで全く別のものです。
退勤時の挨拶
挨拶は“良いこと”なのか
退勤時の挨拶については、
「きちんと行いなさい」と
徹底している職場も少なくないのではないでしょうか。
確かに、
出勤時に「今日もよろしくお願いします」と伝えることは、
関係性のスタート地点です。
この一言の質が、
・安心感
・信頼関係
・その日の過ごし方
すべてに影響します。
「帰れない人」に向かっての挨拶
しかし一方で、認知症の方の中には、
・自分がどこにいるのか分からない
・なぜここにいるのか理解できない
といった状態の方も少なくありません。
そして多くの方が、
「家に帰りたい」
という思いを抱えています。
これは決して特別な感情ではありません。
私たち自身も、
「仕事が終われば家に帰れる」という安心感があるからこそ、
日々の仕事に向き合えているのではないでしょうか。
その一言は、安心につながっているか
そう考えたとき、
目の前に「帰りたいけれど帰れない」方がいる中で、
たとえ退勤の場面であったとしても、
「帰りますね」
と声をかけることは、
果たしてその方にとって、
安心につながる関わりと言えるのでしょうか。
場合によっては、
・不安を強める
・置いていかれる感覚を生む
・感情を揺さぶってしまう
可能性もあります。
配慮として「伝えない」という選択
もちろん、挨拶そのものが悪いわけではありません。
大切なのは、
その人にとってどう受け取られるかという視点です。
だからこそ私は、
こうしたケースにおいては、
ご利用者様にはあえて挨拶をせず、
職員間でのみ簡単に声を掛けて退勤することも、
一つの配慮ではないかと考えています。
挨拶の本質とは何か
挨拶は本来、
形式的に行うものではなく、
関係性や安心をつくるためのものです。
であるならば、
“何を言うか”ではなく、
“どう影響するか”を基準に考えることが、
本当に大切なのではないでしょうか。
ハウスルールという名の謎
“当たり前”の危うさ
・ここには座らない
・この時間はこれをする
・これはダメ
理由を聞くと、
「前からそうだから」
「みんなそうしているから」
と返ってくるルール。
こうした“謎ルール”は、
施設の都合や過去の慣習が残ったものであることが多いです。
そして一番の問題は、
誰も疑問を持たなくなることです。
「当たり前」を問い直すという姿勢
こうした“謎ルール”の本質は、
ルールそのものではなく、
「疑問を持たなくなっていること」にあります。
だからこそ大切なのは、
今ある“当たり前”を見直すことです。
「なぜそれをやっているのか」
「本当に必要なものなのか」
「誰のためのルールなのか」
そうした問いを持ち、
その根拠を突き詰めようとする姿勢そのものが、
より良いケアに繋がる大切な視点になり得ます。
“当たり前”を疑うことは、
ケアの質を高める第一歩なのかもしれません。
【なぜ起こるのか(背景)】
人手不足
限られた人数で業務を回す必要があるため、
「一人ひとりに合わせる」よりも「全体を効率よく回す」ことが優先されやすくなります。
その結果、
・時間で動かす
・一律の対応をする
・個別性を後回しにする
といった判断が“仕方のないもの”として積み重なっていきます。
教育不足
ケアの「やり方」は教えられても、
「なぜそうするのか」という価値観や根拠が共有されていないことがあります。
そのため、
・先輩のやり方をそのまま真似る
・違和感があっても言語化できない
・疑問を持つこと自体が減っていく
といった状態が起こりやすくなります。
文化(慣習の固定化)
「前からそうしている」
「これがこの施設のやり方」
こうした言葉が当たり前になると、
・ルールの意味が見直されなくなる
・新しい視点が入りにくくなる
・疑問を持つことが“空気を乱すこと”になる
といった状況が生まれます。
【現場でできるワンアクション】
■1日1回「なぜ?」を言葉にする
ただ振り返るだけでなく、
👉「なぜこの対応をしたのか」を1つ言語化する
例:
「時間で動いてもらったのは、次の業務があったから」
「声が強くなったのは、焦っていたから」
→ 自分の判断のクセに気づくことが第一歩
■声かけを“命令”から“選択肢”に変える
×「座ってください」
○「ここで座るのと、もう少し歩いてからにしますか?」
→ コントロールから自己決定へ
■“名前+目を見る+一呼吸”を意識する
挨拶や声かけの前に、
👉一呼吸おいて、目を見て名前を呼ぶ
これだけで、
・関係性
・安心感
・受け取り方
が大きく変わります。
■謎ルールを1つ“言語化”してみる
「なぜこのルールがあるのか」を、チームで一度言葉にする
→ 理由が出ない場合、それは“見直しのサイン”
■「安全のため」を一度疑ってみる
何かを制限するとき、
👉「これは本当にその人のためか?」と1回だけ立ち止まる
→ 過剰ケアのブレーキになる
介護施設の“当たり前”を見直すシリーズ一覧
本記事は「介護施設の“当たり前”を見直す」シリーズの一部です。
日々のケアを振り返り、より良い関わりを考えるための視点をまとめています。
■前半:現場のリスクと基本を見直す
・① 環境編
→ 何気ない習慣が事故や転倒リスクにつながる背景を解説
・② ケア編
→ 日々のケアの中に潜む事故・転倒リスクとその見直し
・③ 言葉編
→ 何気ない一言が不安や拒否を生む理由と関わり方
■後半:関わりと価値観を見直す
・④ 食事・服薬・基本ケア編
→ 「良かれと思っているケア」のズレに気づく視点
・⑤ プライバシー・尊厳編
→ 「その人を、その人として見れているか」を問い直す内容
・⑥ 自立支援・関わり方編
→ “やってあげる介護”がもたらす影響と関係性の質
・⑦ 環境・生活空間編
→ 安全と生活の質(QOL)のバランスを考える
・⑧ 施設都合の生活編
→ 「施設の都合」になってしまう関わりの見直し
・⑨ ケアの本質・価値観編(本記事)
→ “当たり前”を問い直し、ケアの本質を考える総まとめ
気になるテーマからでも構いませんので、
日々の関わりを振り返るきっかけとして、ぜひあわせてご覧ください。
おわりに
ここまで30の視点を見てきました。
どれも特別なことではありません。
むしろ、
どの施設でも、どの職員でも起こり得ることです。
だからこそ重要なのは、
「ダメだ」と指摘することではなく、
気づき続けること・考え続けることです。
考え続けることをやめたとき、
ケアは“作業”になります。
そして、
考え続けることこそが、
プロとしての在り方ではないでしょうか。
ここにんでは、認知症介護を”楽にする”ためのヒントとなるような考え方、技術をたくさん発信しています。
詳しくは ➡【はじめての方へ ここにんってどんなブログ?】をご覧ください!
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詳しくは ➡【はじめての方へ ここにんってどんなブログ?】をご覧ください!
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