※この記事は、認知症グループホームで10年以上勤務し、現在は管理者として働く筆者が執筆しています。
ご本人・ご家族・介護職員、それぞれの立場をふまえたケアの視点をお届けします。
【この記事で伝えたいこと】
認知症ケアにおいて「嘘をつかないこと」は、本人の尊厳や信頼関係を守るための大切な原則です。しかし、その正しさを守ることが、必ずしも本人の安心や尊厳を守ることにつながるとは限りません。
この記事では「嘘をつかない」という倫理観と、本人の思いに寄り添うケアの間で生じる介護職員の葛藤を通して、専門職として本当に大切にすべきモラルとは何かを考えます。
【要点】
- 「嘘をつかないこと」が大切とされる理由が分かる
本人の尊厳や信頼関係、自己決定を守るために、介護職員に求められる誠実さや専門職としての倫理観について解説します。 - 「正しさ」と「本人に寄り添うケア」の間で生じる葛藤を考える
事実を伝えることが必ずしも本人の安心につながらない場面や、職場の方針と自分の倫理観との間で生じるモラルディストレス(倫理的苦悩)について紹介します。 - 介護職員に求められる本当のモラルと、柔軟なケア判断の視点が分かる
「嘘をつかないこと」や「本人のため」という考えを絶対視せず、自分の正しさを問い直しながら、本人の意思や尊厳を中心にチームでよりよいケアを考えるための視点を解説します。
【この記事で分かること】
・認知症ケアで「嘘をつかないこと」が大切とされる理由
・「嘘をつかない」という正しさと、本人の尊厳を守るケアの間で生じる葛藤
・自分の正しさを絶対視せず、本人の意思や尊厳を中心に考えるための専門職としての視点
家族介護・介護職のどちらにとっても、「嘘をつく/つかない」という二者択一ではなく、本人の思いを尊重しながら、よりよいケアを考えるための内容です。
※詳しい説明・根拠・事例は、このあと本文でやさしく解説します。
はじめに|「嘘をついてはいけない」は、本当に正しいのか?
介護職員として働いていると「認知症の方であっても、嘘をついてはいけない」という言葉を耳にすることがあります。
もちろん、嘘をつかないことは大切です。
介護職員と利用者の間には信頼関係が必要であり、相手を騙したり、自分の都合で事実を隠したりすることが望ましくないのは、言うまでもありません。
しかし、私は以前から、この「嘘をついてはいけない」という考え方に、少し引っかかるものを感じていました。
それは「嘘をつかないこと」が、いつの間にかケアの目的になってしまってはいないだろうか、という疑問です。
認知症の方は、記憶障害や見当識障害などによって、私たちとは異なる時間や場所の認識の中で生活されていることがあります。
例えば、すでに成人した子どもを、まだ小学生だと思っている方。
何十年も前に亡くなった母親が、今も自宅で待っていると思っている方。
長年暮らしてきたグループホームにいながら「ここは自分の家ではない」と感じている方。
そうした方々に対して、私たちは常に客観的な事実を伝えなければならないのでしょうか。
「お子さんはもう50歳ですよ」
「お母さんは、ずっと前に亡くなっていますよ」
「ここがあなたの家ですよ」
これらは、事実としては正しい言葉かもしれません。
しかし、その言葉が本人の安心につながるとは限りません。
むしろ、混乱や不安、悲しみを生み出すこともあるでしょう。
では、本人が認識している世界に合わせて言葉を選ぶことは、嘘なのでしょうか。
そして、そうした関わりは、介護職員としてのモラルに反するのでしょうか。
今回は「尊厳と嘘のバランス」三部作の第2回として、認知症ケアに携わる職員に求められる「モラル」について考えてみたいと思います。
そもそも介護職員に求められる「モラル」とは何か
モラルとは、一般的には社会生活の中で求められる道徳や、善悪を判断するための規範を指します。
例えば、嘘をつかないこと、人を傷つけないこと、相手を尊重すること、約束を守ること。
これらは、私たちが社会生活を送るうえで大切にしている考え方です。
そして、介護職員には、こうした一般的なモラルに加えて、専門職としての倫理も求められます。
利用者の尊厳を守ること。
本人の意思や価値観を尊重すること。
プライバシーを守ること。
不必要な苦痛や不利益を与えないこと。
こうした原則は、認知症ケアにおいても重要なものです。
ただし、ここで考えておきたいことがあります。
それは、モラルや倫理は、必ずしも一つの行動だけを正解として示してくれるものではないということです。
例えば、本人の意思を尊重することと、安全を守ること。
本人の自由を守ることと、事故を防ぐこと。
正確な情報を伝えることと、本人に不要な苦痛を与えないこと。
これらは、どちらも大切な原則でありながら、現場では両立が難しい場面があります。
つまり、介護職員に求められるのは、単に決められた正しさを守ることだけではありません。
複数の大切な価値がぶつかり合う中で、何を優先し、どのような対応を選ぶべきかを考えることも、専門職としての倫理なのだと思います。
「事実と違うこと」と「嘘」は同じなのか
ここで、少し視点を変えて考えてみます。
仮に「嘘とは、事実と異なることを言うことである」と定義したら、どうなるでしょうか。
認知症の方が「昨日、母親と買い物に行った」と話していたとします。
しかし、実際には母親は何十年も前に亡くなっています。
客観的に見れば、その発言は事実と異なっています。
では、この方は嘘をついているのでしょうか。
おそらく、多くの介護職員はそうは考えないでしょう。
なぜなら、本人は誰かを騙そうとしているわけではなく、その出来事を本当のこととして認識している可能性があるからです。
一般的に、嘘には「事実と異なることを知りながら、相手に事実だと思わせようとする」という意図が含まれます。
そのため、記憶障害や見当識障害などによって生じる事実と異なる発言を、そのまま嘘と呼ぶことは適切ではありません。
では、ここで一つの疑問が生まれます。
本人にとって真実である世界に、介護職員が寄り添おうとしたとき、その言葉が客観的な事実と異なっていれば、すべて嘘として否定されるべきなのでしょうか。
もちろん、本人が事実と異なることを信じている場合と、職員が意図的に事実と異なることを伝える場合とでは、責任の重さが異なります。
支援する立場にある職員には、本人を不当に誘導したり、判断する機会を奪ったりしない責任があります。
それでも、事実と異なる言葉をすべて同じものとして扱い、一律に否定してしまうことには疑問が残ります。
そこには、言葉の内容だけでなく、その意図や目的、本人への影響を考える必要があるのではないでしょうか。
「正しいことを伝える」が、本人を傷つけるとき
例えば、ある認知症の方が夕方になると、
「子どもが学校から帰ってくるから、早く家に帰らないと」
と繰り返し話されていたとします。
実際には、その方の子どもはすでに成人し、独立しています。
このとき職員が、
「お子さんはもう大人ですよ。学校には行っていません」
と伝えたとします。
これは事実です。
職員は嘘をついていませんし、間違った情報も伝えていません。
しかし、本人がその説明を理解できなかったり、受け入れられなかったりした場合はどうでしょうか。
「そんなはずはない」
「子どもが一人で待っているのに」
と、不安が強くなるかもしれません。
あるいは、何度説明しても納得できず、同じやり取りが繰り返されることもあるでしょう。
では、別の職員が、
「お子さんのことが気になるんですね」
「いつもお子さんのことを大切にされていたんですね」
と声をかけた場合はどうでしょうか。
こちらは、子どもが今も学校に通っているという事実を肯定しているわけではありません。
しかし、本人が抱えている心配や責任感を受け止めようとしています。
そして、その関わりによって、本人が安心して話を続けられるかもしれません。
このような対応は、バリデーションやパーソンセンタードケアの考え方とも重なる部分があります。
大切なのは、本人の言葉が客観的に正しいかどうかだけで判断するのではなく、その言葉の背景にある感情や思いを理解しようとすることです。
もちろん、認知症の方の発言をすべて肯定すればよいわけではありません。
また、事実を伝えないことが、常に適切な対応になるわけでもありません。
本人が説明を求めている場合や、重要な判断に関わる場合には、理解できる方法で正確な情報を伝える必要があります。
しかし、少なくとも、事実を正確に伝えたという理由だけで、その対応が本人にとって最善だったと判断することはできないのではないでしょうか。
本人の世界に寄り添うことは、嘘なのか
認知症ケアでは、しばしば「本人の世界に寄り添う」という表現が使われます。
私は、この言葉には非常に大切な意味があると思っています。
認知症の方が認識している時間や場所、周囲の人間関係は、私たちが把握している客観的な現実と異なることがあります。
しかし、本人が感じている不安や寂しさ、喜び、心配などの感情は、紛れもなくその方自身のものです。
例えば「母親が迎えに来る」と話す方がいたとします。
その方にとって母親は、安心できる存在だったのかもしれません。
あるいは、母親を待つという行為そのものが、長年の生活の中で大切な意味を持っていたのかもしれません。
その背景を理解しようとせず、
「お母さんはもう亡くなっています」
とだけ伝えることは、事実としては正しくても、本人の感情を十分に受け止めた対応とは言えない場合があります。
一方で、
「お母さんに会いたいんですね」
「お母さんはどんな方だったんですか」
と話を広げることは、本人の認識している事実を肯定することとは違います。
本人が感じている世界を理解しようとする関わりです。
ただし、ここで注意したいのは「本人の世界に寄り添うこと」と「本人に合わせて架空の事実を作ること」は同じではないという点です。
例えば「お母さんはあと10分で迎えに来ますよ」と伝えれば、本人は一時的に安心するかもしれません。
しかし、その言葉によって本人が待ち続けたり、後になって不信感を抱いたりする可能性もあります。
だからこそ、まずは事実を偽らずに感情を受け止める方法を考えることが大切です。
しかし、現実の認知症ケアでは、それだけでは本人の不安が和らがず、かといって事実を伝えることも難しい場面があります。
そのようなとき、職員が本人の安心を守るために、あえて事実とは異なる言葉を選ぶこともあるでしょう。
では、そのような対応は、介護職員としてのモラルに反するのでしょうか。
私は、その判断が適切だったかどうかは、単に嘘をついたかどうかだけでは決められないと思っています。
寄り添うことは、相手の認識を何でも肯定することではありません。
相手が見ている世界を理解しようとし、その方の安心や尊厳を守るために関わることなのだと思います。
「嘘をついてはいけない」というモラルが、職員を苦しめることもある
ここからは、少し介護職員の側に視点を移してみたいと思います。
介護現場では、職員がさまざまな葛藤を抱えながら働いています。
本人の意思を尊重したい。
不安を和らげたい。
安心して生活してもらいたい。
しかし、その一方で、職場の方針や専門職としての倫理、事故防止なども考えなければなりません。
例えば、本人が強い帰宅願望を示している場面で、ある職員は「ここが自宅であることをきちんと説明するべきだ」と考えます。
一方、別の職員は「今は事実を説明するよりも、本人の不安を受け止めることが大切だ」と考えます。
どちらの職員も、本人のためを思っているのかもしれません。
しかし、職場に「嘘をついてはいけない」という方針だけが強く存在していた場合、後者の職員は、自分の対応に迷いや罪悪感を抱くことがあります。
「本人の安心を優先したかったけれど、これは嘘になるのだろうか」
「事実を伝えるべきなのは分かるけれど、それで本人が傷つくのは違うのではないか」
「自分が正しいと思うケアと、職場で求められるケアが違う」
このような葛藤は、介護職員にとって決して小さなものではありません。
専門職として大切にしている価値観と、実際に求められる行動が衝突することで、精神的な負担が生じることもあります。
ここで知っておきたいのが「モラルディストレス(倫理的苦悩)」という考え方です。
モラルディストレスとは?|「正しいと思うケアができない」という苦悩
モラルディストレスとは、もともと看護倫理の分野で提唱された概念で、自分が倫理的に適切だと考える行動があるにもかかわらず、組織の方針や制度などの制約によって実行できず、苦悩することを指します。
例えば、本人の不安を受け止めることが必要だと考えている職員が、職場の方針によって事実を繰り返し説明することしか認められず、その対応に疑問を感じながらも従わざるを得ない場合です。
ここで重要なのは、単に「どの対応が正しいのか分からない」という迷いとは異なる点です。
「本人のために必要だと思うことがあるのに、それを実行できない」という苦しさがあるのです。
もちろん、職員間で意見が異なることや、対応に迷うことのすべてが、この古典的な意味でのモラルディストレスに当たるわけではありません。
それでも、本人のために何がよいのかを考えている職員が、単純なルールによって判断の余地を失ってしまうことは、見過ごせない問題だと思います。
本来、本人の尊厳を守るために存在するはずのモラルが、職員を縛り、本人にとって必要なケアを考えることまで妨げてしまう。
そうなってしまえば、何のためのモラルなのか、改めて考える必要があるのではないでしょうか。
● 参考:モラルディストレスと、倫理的葛藤の違い
| 状況 | 概念 |
|---|---|
| 事実を伝えるべきか、本人の感情を優先すべきか判断に迷う | 倫理的葛藤・倫理的ジレンマ |
| 職員Aと職員Bで、望ましい対応について意見が違う | 倫理観や判断の相違 |
| 適切だと考える対応があるのに、職場の方針などで実行できず苦しむ | モラルディストレス |
| 過去の対応を振り返り、本人を傷つけたのではないかと悩む | 罪悪感・後悔など(状況による) |
「嘘をつかないこと」が目的になっていないか
私は、ここが今回の記事で最も考えたい部分です。
そもそも、なぜ介護職員は「嘘をついてはいけない」と教えられるのでしょうか。
それは、おそらく、本人との信頼関係を守るためです。
本人を騙して不利益を与えないため。
本人の意思を尊重するため。
そして、本人の尊厳を傷つけないためです。
つまり「嘘をつかない」という原則の先には、守ろうとしている大切なものがあるはずです。
しかし、その原則だけが独り歩きすると、いつの間にか「嘘をつかなかったかどうか」がケアの評価基準になってしまうことがあります。
例えば、本人が強い不安を感じている場面で、職員が事実を説明したとします。
その結果、本人が混乱し、泣き出してしまった。
それでも「嘘をつかなかったのだから、正しい対応だった」と考えるのであれば、そこには少し違和感があります。
もちろん、本人が悲しんだからといって、事実を伝えたことが必ず間違いだったとは言えません。
大切な事実を知ることが、本人の意思決定や権利を守る場合もあります。
しかし「嘘をつかなかった」という一点だけで、ケアの適切さを判断することはできないと思うのです。
本当に考えるべきなのは、その言葉が本人にとってどのような意味を持ち、何を守り、何を損なう可能性があったのかということではないでしょうか。
これは、嘘をつくことを推奨する考え方ではありません。
むしろ、嘘をつかないという原則を大切にするからこそ、その原則が何のために存在するのかを忘れないことが重要なのだと思います。
自分の「正しさ」を疑うことも、介護職員のモラルではないか
ここでもう一つ、考えておきたいことがあります。
それは、介護職員がそれぞれ持っている「正しさ」についてです。
例えば、ある職員は「認知症の方であっても、絶対に嘘をつくべきではない」と考えています。
別の職員は「本人が安心できるのであれば、時には事実と異なる説明も必要だ」と考えています。
この二人は、互いの考え方を理解できないかもしれません。
前者は、後者の対応を「不誠実だ」と感じるでしょう。
後者は、前者の対応を「本人の気持ちを考えていない」と感じるかもしれません。
しかし、ここで大切なのは、どちらか一方を単純に悪い職員と決めつけないことです。
どちらも、本人のために正しいケアをしたいと考えている可能性があります。
問題は、その正しさを絶対的なものとしてしまうことです。
「嘘は絶対にいけない」
「本人のためなら嘘をついても構わない」
この二つは、反対の主張のように見えます。
しかし、どちらも自分の考えを唯一の正解としてしまえば、本人の状況を十分に考えずに判断する危険性があります。
認知症ケアは、一人ひとりの生活歴や価値観、認知機能、身体状況、周囲の環境によって、必要な関わり方が変わります。
昨日うまくいった対応が、今日もうまくいくとは限りません。
ある方にとって安心できる言葉が、別の方にとっては不信感につながることもあります。
だからこそ、介護職員には、自分が正しいと思っていることを、ときには疑う姿勢も必要なのではないでしょうか。
「自分の正しさを守ること」と「本人の尊厳を守ること」は、必ずしも同じではありません。
この違いに気づき、考え続けることも、専門職として求められるモラルの一つだと思います。
「本人のため」という言葉にも注意が必要
ただし、ここまでの話には、もう一つ重要な注意点があります。
それは「本人のため」という言葉が、あらゆる対応を正当化する理由になってはいけないということです。
例えば、本人が入浴を拒否している場面で、
「先生が呼んでいますよ」
と事実ではない説明をして浴室へ誘導したとします。
職員は「清潔を保つため」「本人の健康のため」と考えているかもしれません。
しかし、その対応によって本人の意思を無視し、望まない入浴をさせているのであれば、慎重に考える必要があります。
服薬や食事、排泄介助などについても同じです。
本人のために必要なケアであっても、だからといって本人を騙してよいとは限りません。
介護職員には、本人の意思を尊重すると同時に、健康や安全を守る責任もあります。
しかし、その責任は、本人の自己決定を無条件に制限してよいという意味ではありません。
ここで考えたいのは、次のような視点です。
- その説明は、本当に本人のためなのか。
- 職員の都合や業務の効率を優先していないか。
- 本人が判断するために必要な情報を奪っていないか。
- 事実を偽らずに対応する方法はないのか。
- その対応によって、本人との信頼関係が損なわれないか。
これらを考えることなく「本人のためだから」と嘘を使ってしまえば、それは寄り添いではなく、職員側による一方的な誘導になってしまう可能性があります。
つまり、嘘をつかないという原則を絶対視することにも危うさがありますが、
「本人のため」という善意を絶対視することにも、同じように危うさがあるのです。
介護職員のモラルを、個人の正しさで終わらせない
こうした問題は、職員一人ひとりの判断だけに任せるべきではないと思います。
なぜなら、認知症ケアはチームで行うものだからです。
ある職員は事実を説明し、別の職員は本人の認識に合わせた説明をする。
その対応の違いによって、本人が混乱したり、職員間で不信感が生まれたりすることもあります。
だからこそ、チームとして「何を大切にするのか」を共有する必要があります。
ただし、共有するべきなのは、単純な対応マニュアルだけではありません。
例えば「帰りたいと言われたら、こう答える」と決めるだけでは、本人の気持ちや状況の変化に対応できないことがあります。
それよりも、
「なぜ帰りたいと訴えているのだろうか」
「何に不安を感じているのだろうか」
「どのような言葉で安心できたのだろうか」
「その対応は本人の意思や尊厳を守れていただろうか」
といったことを、職員同士で考えることが重要だと思います。
また、職員が自分の対応に迷ったとき、安心して相談できる環境も必要です。
「そんな対応は間違っている」
「介護職員としてのモラルがない」
と一方的に否定するのではなく、なぜその対応を選んだのか、ほかにどのような方法があったのかを一緒に考える。
そうした話し合いができる職場であれば、職員の倫理的な葛藤も、チームとしてケアの質を高める機会に変えられるかもしれません。
管理者やリーダーに求められるのも、単に正解を示すことだけではないと思います。
職員それぞれの考えを受け止めながら、本人の尊厳や意思を中心に据え、チームとして判断するための土台を作ること。
そして、判断が難しい場面では、本人や家族の意向、健康や安全への影響、専門職としての責任などを踏まえ、必要に応じて多職種とも相談すること。
その積み重ねが、介護現場におけるモラルを、単なる個人の価値観から専門職としての実践へとつなげていくのだと思います。
介護職員に求められる本当のモラルとは
ここまで、認知症ケアにおける嘘とモラルについて、さまざまな視点から考えてきました。
では、介護職員に求められるモラルとは、結局どのようなものなのでしょうか。
私は、それは単に「嘘をつかない」という決まりを守ることでも、「本人のためなら嘘をついてもよい」と考えることでもないと思っています。
大切なのは、自分が選ぼうとしている対応が、本人にとってどのような意味を持つのかを考えることです。
目の前の方が、何を感じ、何を求め、何を大切にしているのか。
その方の安心や尊厳を守るために、今どのような関わりが必要なのか。
そして、その判断には、職員自身の価値観や都合が入り込んでいないだろうか。
そうした問いを持ち続けることが必要なのだと思います。
また、介護職員は一人でケアを行っているわけではありません。
自分の正しさを押し付けず、ほかの職員の考えにも耳を傾け、必要であれば自分の判断を見直すこと。
そして、判断に迷ったときには、本人の意思や権利を中心に据えながら、チームとしてよりよい対応を考えていくこと。
「自分が正しいと思うこと」と「本人にとって望ましいこと」は、必ずしも一致するとは限りません。
だからこそ、決められたルールを守るだけでなく、自分自身の判断も振り返り、問い直し続ける。
私は、そうした姿勢こそが、認知症ケアに携わる専門職としてのモラルなのではないかと思っています。
まとめ|「正しさ」を守ることよりも、何のための正しさなのかを考える
認知症ケアでは、客観的な事実と、本人が認識している世界が異なることがあります。
そのような場面で、介護職員は「事実を伝えるべきか」「本人の認識している世界に寄り添うべきか」という葛藤に直面します。
しかし、どちらか一方だけを絶対的な正解としてしまえば、本人にとって必要なケアを見失う可能性があります。
「嘘をついてはいけない」という原則は大切です。
ですが、その原則は何のために存在するのでしょうか。
それは、本人との信頼関係を守り、尊厳を傷つけず、その方らしい生活を支えるためではないでしょうか。
であるならば、私たち介護職員は、原則を守ることだけに満足するのではなく、その先にある目的を見失わないようにする必要があります。
そして同時に「本人のため」という言葉を理由に、自分たちの都合や価値観を押し付けていないかを振り返る必要もあります。
介護職員に求められるモラルとは、決められた正しさを疑わずに守ることではなく、その正しさが誰のためにあるのかを問い続けること。
そして、自分が正しいと信じていることも、必要であれば問い直していくこと。
私は、そのように考えています。
次回|尊厳と嘘のバランス③へ
では、実際の認知症ケアにおいて、本人の安心を守るための嘘と、職員の都合による嘘は、どのように区別すればよいのでしょうか。
次回は「ホワイトライとブラックライ」「治療的な嘘」という考え方を手がかりに、嘘の目的や影響、本人の自己決定との関係を整理しながら、認知症ケアにおける嘘の境界線について考えていきます。
「嘘をつかないこと」を目的にするのでも「本人のためなら嘘をついてよい」と考えるのでもない。
その間にある、専門職としての判断について、さらに掘り下げていきたいと思います。
【尊厳と嘘のバランス|全3回】
認知症ケアにおける「嘘」を、本人の尊厳、介護職員のモラル、嘘の種類とその倫理的な判断という3つの視点から考えるシリーズです。
① 認知症ケアとして考える「嘘」
② 介護職員のモラルと「嘘」(本記事)
③ ホワイトライ・ブラックライ・治療的な嘘
参考文献・出典
この記事では、以下の資料を参考に、認知症介護の現場での経験と、管理者としての視点を交えて考察しています。
- 日本介護福祉士会「日本介護福祉士会倫理綱領」
― 利用者本位、自己決定の尊重、専門職としての責任など、介護福祉士に求められる倫理を考えるための資料。 - 日本看護協会「看護職の倫理綱領」(2021年)
― 人間の尊厳、信頼関係、本人の価値観に沿った意思決定支援など、介護職にも共通する倫理的課題を考えるための参考資料。 - Jameton, A.『Nursing Practice: The Ethical Issues』Prentice-Hall.(1984)
― モラルディストレス(倫理的苦悩)の概念が提唱された基礎文献。 - Jameton, A.「What Moral Distress in Nursing History Could Suggest about the Future of Health Care」『AMA Journal of Ethics』19(6), 617–628.(2017)
― モラルディストレスの定義や、組織的な制約と専門職の倫理的判断との関係について考えるための論文。 - Kitwood, T.『Dementia Reconsidered: The Person Comes First』Open University Press.(1997)
― 認知症の人を症状だけで捉えず、一人の人間として尊重するパーソンセンタードケアの理論的背景に関する文献。 - Feil, N.『The Validation Breakthrough: Simple Techniques for Communicating with People with “Alzheimer’s-Type Dementia”』Health Professions Press.(1993)
― 認知症の人の言葉や行動の背景にある感情を理解し、受け止めるバリデーションの考え方に関する文献。
※本記事の具体的な事例は、認知症ケアで起こり得る状況を説明するための例示です。また、嘘と尊厳の関係についての結論には、筆者自身の考察を含みます。
※書籍へのリンクは主に書誌情報を確認するためのものであり、全文を閲覧できるとは限りません。
ここにんでは、認知症介護を”楽にする”ためのヒントとなるような考え方、技術をたくさん発信しています。
詳しくは ➡【はじめての方へ ここにんってどんなブログ?】をご覧ください!
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