【認知症ケアにおける、尊厳と嘘のバランス①】認知症の人に嘘をつくことは悪いことなのか? ~「嘘をつかない」という正しさと、本人の世界に寄り添うケア~

認知症ケアについて
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※この記事は、認知症グループホームで10年以上勤務し、現在は管理者として働く筆者が執筆しています。

ご本人・ご家族・介護職員、それぞれの立場をふまえたケアの視点をお届けします。

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📝 この記事の要約

【この記事で伝えたいこと】

認知症の方に「嘘をつかないこと」は、本人の尊厳や信頼関係を守るための大切な原則です。しかし、事実を伝えることが、必ずしも本人の安心につながるとは限りません。

この記事では「嘘をつかない」という正しさと、本人の世界に寄り添うケアの間にある葛藤を通して、嘘をつかないこと自体を目的にせず、本人の尊厳や安心を守るために何を大切にすべきなのかを考えます。


【要点】

  1. 「嘘をつかないこと」が大切とされる理由が分かる
    認知症の方の尊厳や信頼関係、自己決定を守るために、なぜ嘘をつかないことが原則とされるのかを解説します。
  2. 「正しい事実を伝えること」と「本人に寄り添うこと」の違いを考える
    亡くなった家族を探す、家に帰りたがる、財布を盗まれたと訴えるなどの具体例を通して、事実を否定も肯定もせず、本人の感情を受け止めるケアの大切さを紹介します。
  3. 本人の尊厳と安心を守るための、柔軟なケア判断の視点が分かる
    「嘘をつく/つかない」という二者択一ではなく、本人の意思や感情、信頼関係への影響を踏まえ、嘘をつかないこと自体を目的にしない、本人中心のケアについて考えます。

【この記事で分かること】

・認知症の方に「嘘をつかないこと」が大切とされる理由
・事実を伝えることと、本人の気持ちに寄り添うことの違い
・「嘘をつく/つかない」の二者択一ではなく、本人の尊厳や安心を守るための判断の視点

家族介護・介護職のどちらにとっても「嘘をつかない」という原則を大切にしながら、本人の思いや状況に合わせた、よりよい関わり方を考えるための内容です。

※詳しい説明・根拠・事例は、このあと本文でやさしく解説します。

はじめに|認知症の人に嘘をついてはいけない?

認知症ケアについて学んでいると、次のような言葉を耳にすることがあります。

「認知症の人であっても、嘘をついてはいけない」

「認知症になっても、一人の人間として尊厳を持って接するべきだ」

どちらも、認知症の方を大切にしようとする考え方から生まれた言葉だと思います。

一方で、こんな言葉もよく聞きます。

「認知症の人が見ている世界を否定してはいけない」

「本人の言葉を否定せず、気持ちに寄り添うことが大切」

こちらも、認知症ケアにおいて大切にされている考え方です。

しかし、この二つの考え方を同時に実践しようとすると、時として矛盾が生じます。

例えば、すでに亡くなっている母親を探している方がいたとします。

「お母さんはどこにいるの? 迎えに来るはずなんだけど」

このように尋ねられたとき、私たちはどう答えるべきなのでしょうか。

「お母さんはもう亡くなっていますよ」

これは事実です。嘘をつかず、正しい情報を伝えています。

しかし、その言葉によって本人が深く悲しみ、混乱してしまったとしたら、それでも正しい対応だったといえるのでしょうか。

反対に、

「お母さんはもうすぐ迎えに来ますよ」

と伝えれば、その場では安心してもらえるかもしれません。

しかし、それは事実ではありません。

本人を安心させるためとはいえ、嘘をついてしまってよいのでしょうか。

認知症ケアの現場には、このような葛藤が数多く存在します。

私は、ここで大切なのは「嘘をつくか、つかないか」という二者択一ではないと考えています。

そもそも、私たちは何のために嘘をつかないのでしょうか。

そして、何のために本人の世界に寄り添おうとしているのでしょうか。

今回は、認知症ケアにおける「嘘」と「尊厳」の関係について考えていきたいと思います。

出典:Pritchard「Using therapeutic lies – an ethical challenge for nurses when caring for people with dementia」

認知症の人に嘘をついてはいけない理由とは?

嘘をつかないことは、信頼関係を守るための原則

そもそも、なぜ認知症の方に嘘をついてはいけないと考えられているのでしょうか。

その理由の一つに、本人の尊厳や信頼関係を守るという考え方があります。

認知症になったからといって、その方が一人の人間であることに変わりはありません。

認知機能が低下しても、感情や価値観、これまで積み重ねてきた人生が失われるわけではないのです。

自分が知らないところで話を進められたり、都合のよい説明でごまかされたりすれば、不快に感じることもあるでしょう。

たとえ説明された内容を後から思い出せなかったとしても、そのときに感じた不信感や不安が残ることもあります。

また、嘘によって本人が判断するための情報を奪ってしまえば、自己決定の機会を損なう可能性もあります。

例えば、病院へ行くことを嫌がる方に対して、

「ちょっと買い物に行きましょう」

と伝え、本人に知らせず病院へ連れていくような対応です。

このような方法は、その場の目的を達成できるかもしれません。

しかし、本人が事情を理解し、納得して選択する機会を奪ってしまうことにもなりかねません。

嘘をつかないことは、本人を一人の人間として尊重し、信頼関係を築くうえで大切な原則なのです。

出典:Pritchard「Using therapeutic lies – an ethical challenge for nurses when caring for people with dementia」

パーソン・センタード・ケアと尊厳

認知症ケアにおいて、本人を一人の人間として尊重する考え方として知られているのが、パーソン・センタード・ケアです。

心理学者トム・キットウッドが提唱した考え方であり、認知症という病気だけを見るのではなく、その人自身に目を向けることを重視しています。

認知症の症状があるからといって、本人の意思や感情を軽視してよいわけではありません。

その人が何を大切にしてきたのか、何を望み、どのように生活してきたのか。

そうした背景を理解しながら関わることが求められます。

ただし、ここで一つ考えたいことがあります。

本人を尊重することと、常に事実だけを伝えることは、本当に同じなのでしょうか。

パーソン・センタード・ケアは、あらゆる場面で事実だけを伝えることを義務づける理論ではありません。

大切なのは、目の前にいるその方を一人の人間として理解し、その方にとって適切な関わりを考えることです。

「嘘をつかない」という原則だけを守っていれば、それだけで尊厳が守られるわけではないのです。

出典:Kitwood「Dementia Reconsidered: The Person Comes First」

嘘をつかず、正しいことを伝えれば、尊厳は守られるのか?

事実を伝えることが苦痛につながる場合

冒頭の、亡くなった母親を探している方の例に戻ってみましょう。

「お母さんはどこにいるの?」

この問いに対して、

「お母さんはもう亡くなっていますよ」

と答えることは、事実として間違っていません。

しかし、認知症による記憶障害などによって、母親が亡くなったことを思い出せない方もいます。

その方にとっては、母親が今も生きているという認識が自然なものになっているのかもしれません。

そこに突然、母親の死という事実を伝えられたらどうでしょうか。

本人は、初めて母親の死を知らされたときのような悲しみを感じるかもしれません。

そして、時間が経つと再び母親を探し始める。

そのたびに同じ事実を伝え、同じような悲しみを繰り返す。

もし、そのような状況が起きているのであれば、私たちは対応を考え直す必要があるのではないでしょうか。

もちろん、すべての方が同じ反応を示すわけではありませんし、同じ方であっても、タイミングや気分によって反応は変わるでしょう。

そして、事実を伝えることで納得できる方もいれば、正しい情報を知ることを大切にしている方もいるでしょう。

重要なのは、正しいことを伝えたという事実だけで、対応の適切さを判断しないことです。

本人がどのように受け止めたのか。

その言葉によって何が起きたのか。

その後の生活や気持ちにどのような影響があったのか。

そこまで考えてこそ、本人を中心としたケアになるのだと思います。

「正しい対応」と「本人にとってよい対応」は同じとは限らない

介護の現場では、職員が正しいと思って行った対応が、必ずしも本人にとってよい結果につながらないことがあります。

例えば、夕方になると、

「子どもが学校から帰ってくるから、家に帰らなきゃ」

と話す方がいたとします。

実際には、その方の子どもはすでに成人しており、本人も現在は施設で生活しています。

そこで、

「お子さんはもう大人ですよ。学校には行っていません」

と説明したらどうでしょうか。

その方が理解し、落ち着くのであれば、それも一つの対応です。

しかし、説明しても納得できず、不安や混乱が強くなることも考えられます。

そのような場合、事実を繰り返し伝えることが、本当に必要なのでしょうか。

私たちが考えるべきなのは、単に本人の認識を現実に合わせることではなく、なぜその方が帰りたいと思っているのかということです。

子どもを心配しているのかもしれません。

母親としての役割を果たそうとしているのかもしれません。

あるいは、今いる場所が落ち着かず、慣れ親しんだ家に帰りたいのかもしれません。

同じ「帰りたい」という言葉でも、その背景にある思いは人によって異なります。

事実を訂正することだけに意識が向いてしまうと、その言葉に込められた大切な意味を見落としてしまう可能性があるのです。

出典:NICE「Dementia: assessment, management and support for people living with dementia and their carers」

本人の世界を否定しないことと、嘘をつくことは違う

本人の言葉の奥にある感情を考える

認知症ケアでは、本人の世界を否定しないことが大切だといわれます。

この考え方に関連するものとして、バリデーションがあります。

バリデーションは、ナオミ・ファイルが提唱したコミュニケーションの方法で、本人の感情や言動の背景にある意味を理解し、共感的に関わることを重視しています。

なお、バリデーションは認知症の方の感情を尊重するコミュニケーション方法として知られていますが、特定の療法としての有効性については、十分な科学的根拠が確立されているわけではありません。

バリデーション療法について検討したコクランレビューでも、その有効性を判断するための根拠は十分ではないとされています。

ただし、これは本人の感情を尊重することに意味がないということではありません。ケアの理念として大切にされていることと、具体的な療法としての効果が科学的に確認されていることは、分けて考える必要があります。

また、本人の世界を否定しないことは、本人の話す内容をすべて事実として肯定することではありません。

先ほどの、

「子どもが学校から帰ってくるから、家に帰らなきゃ」

という言葉に対して、

「そうですね。お子さんが待っていますから、早く帰りましょう」

と答えることだけが、寄り添いではないのです。

例えば、

「お子さんのことが心配なんですね」

「いつもお子さんの帰りを待っていたんですか?」

と声をかけることもできます。

この対応では、子どもが現在も学校に通っていると肯定しているわけではありません。

一方で、本人の言葉を否定しているわけでもありません。

本人が感じている心配や、子どもを大切に思う気持ちに目を向けています。

つまり、事実を肯定しなくても、本人の感情を受け止めることはできるのです。

事実と感情を分けて考える

ここで大切なのは「事実」と「本人が感じていること」を分けて考える視点です。

例えば、

「財布を盗まれた!」

と訴える方がいたとします。

実際には、本人が財布を別の場所にしまい、どこに置いたのか分からなくなっているのかもしれません。

その場合、

「誰も盗んでいませんよ」

と説明することは、事実として正しいかもしれません。

しかし、本人にとっては、財布が見つからないことへの不安や、誰かに取られたという疑いが現実のものとして感じられています。

そこで、

「財布が見つからないと心配ですよね。一緒に探しましょう」

と声をかけたらどうでしょうか。

盗まれたという認識を肯定することなく、不安な気持ちを受け止めることができます。

もちろん、盗難の可能性を最初から否定せず、実際に何が起きたのか確認することも必要です。

本人の言葉を尊重することは、その内容を無条件に信じることでも、無条件に否定することでもありません。

その方が何を感じ、何に困っているのかを理解しようとすることなのです。

嘘をつかずに寄り添えるなら、それが望ましい

私は、認知症ケアにおいて、嘘を積極的に使うべきだとは考えていません。

嘘をつかずに本人の安心を守れるのであれば、まずはその方法を選ぶべきだと思います。

嘘をつくことには、信頼関係を損ねたり、本人の判断を妨げたりする危険性があるからです。

また、一度ついた嘘を維持するために、さらに別の嘘が必要になることもあります。

本人の言葉を否定せず、事実についても嘘をつかない。

そのような対応ができるのであれば、無理に嘘を使う必要はありません。

ただし、現実の認知症ケアでは、それだけでは対応が難しい場面も存在します。

だからこそ、次の問題について考える必要があるのです。

出典:Neal・Barton Wright「Validation therapy for dementia」
   Feil「The Validation Breakthrough: Simple Techniques for Communicating with People with Alzheimer’s-Type Dementia」

本人の安心のためなら、嘘をついてもよいのか?

嘘をつかないことを目的にしない

ここまで、嘘をつかないことの大切さと、本人の世界に寄り添うことについて考えてきました。

では、嘘をつかずに対応することが難しい場合、私たちはどうすればよいのでしょうか。

例えば、亡くなった母親を探している方に対して、気持ちを受け止めたり、思い出話をしたり、別の活動に誘ったりしても、強い不安が続いているとします。

そのような状況で、事実とは異なる言葉を使うことは、絶対に許されないのでしょうか。

私は、必ずしもそうではないと考えています。

ただし、それは「本人のためなら嘘をついてもよい」という単純な話ではありません。

本人の状況や、それまでの関わり、嘘によって生じる可能性のある影響などを慎重に考える必要があります。

そのうえで、ほかに適切な方法がなく、本人の強い苦痛を和らげるために必要だと判断される場面では、事実と異なる伝え方が選択肢となることもあると思います。

ですが、その判断は一人の職員だけで完結させるべきではないと思います。

本人がこれまで何を大切にしてきたのか、どのような言葉に安心し、どのような対応で不安が強くなるのか。

そうした情報を職員間で共有し、必要に応じて家族や多職種とも相談しながら考えることが大切です。

嘘を使うことが目的になっていないか、ほかに方法はないのかを振り返る姿勢も必要でしょう。

ここで私が大切にしたいのは、嘘をつかないことを基本としながら、嘘をつかないこと自体を目的にしないという考え方です。

そもそも、なぜ私たちは嘘をつかないことを大切にしているのでしょうか。

それは、本人を騙したくないから。

本人の尊厳を傷つけたくないから。

安心して生活してもらいたいから。

信頼関係を大切にしたいから。

そうした思いがあるからではないでしょうか。

つまり、嘘をつかないことは、本人の尊厳や安心を守るための原則の一つであり、それ自体が最終的な目的ではないはずです。

もし、嘘をつかないという原則に固執するあまり、本人に繰り返し苦痛を与えているのであれば、

その対応が本当に本人のためになっているのかを考え直す必要があると思います。

ただし「本人のため」という言葉には注意が必要

一方で、ここには大きな危険もあります。

それは「本人のため」という言葉によって、どのような対応でも正当化できてしまうことです。

例えば、入浴を嫌がる方に、

「お風呂ではなく、ちょっと別の部屋へ行くだけですよ」

と説明して浴室へ連れていく。

あるいは、薬を飲みたがらない方に、何も説明せず食事へ混ぜてしまう。

こうした対応も、職員側からすれば「本人の清潔や健康を守るため」と説明できてしまうかもしれません。

しかし、本人の意思を無視したり、判断する機会を奪ったりしているのであれば、尊厳を守るケアとはいえません。

服薬については、薬剤の安全性や本人の同意、医療職との連携など、別の重要な問題も生じます。

また、本人が一時的に笑顔になったからといって、その対応が適切だったと判断できるわけでもありません。

本人が後から嘘に気づき、不信感を抱くこともあるでしょう。

あるいは、その場では穏やかになっても、本人が本来望んでいたことを実現する機会を奪っている可能性もあります。

だからこそ、嘘を使うかどうかを考える際には、本人の安心だけでなく、尊厳や自己決定、信頼関係なども含めて判断する必要があります。

「本人のため」という言葉は、職員の判断を正当化するための免罪符であってはならないのです。

出典:「Do people with dementia find lies and deception in dementia care acceptable?」

認知症ケアに必要なのは、正しさを押しつけない柔軟さ

同じ言葉でも、適切な対応は人によって違う

認知症ケアには、すべての方に当てはまる唯一の正解があるわけではありません。

例えば「家に帰りたい」と訴える方がいたとします。

ある方は、現在の状況を丁寧に説明することで納得できるかもしれません。

別の方は、昔の家族の話をすることで安心するかもしれません。

また別の方は、施設での生活に不安や不満があり、それを「帰りたい」という言葉で表現しているのかもしれません。

その場合、必要なのは言葉のかけ方を工夫することだけではなく、生活環境そのものを見直すことかもしれません。

大切なのは「帰りたいと言われたらこう答える」という決まった対応を当てはめることではありません。

なぜ帰りたいのか。

何を求めているのか。

どのような対応で安心できるのか。

その方の生活歴や価値観、現在の心身の状態などを踏まえながら考えていくことです。

また、昨日はうまくいった対応が、今日もうまくいくとは限りません。

本人の気持ちや体調、周囲の環境によっても、適切な関わり方は変わります。

だからこそ、私たちは一つの方法に固執するのではなく、本人の反応を見ながら柔軟に対応を考える必要があります。

「否定しないこと」も目的にしてはいけない

ここまで、嘘をつかないことを目的にしないという話をしてきました。

しかし、同じことは「本人の言葉を否定しない」という考え方にもいえると思います。

例えば、本人が明らかに危険な行動を取ろうとしている場合です。

「自分は一人で歩けるから、手伝わなくていい」

そう話している方が、実際には転倒の危険性が高い状態だったとします。

このとき、本人の言葉を否定しないことだけを優先し、何も支援せずに歩いてもらうことが、必ずしも適切とは限りません。

一方で、危険だからという理由だけで、本人の希望を一方的に否定することも望ましくありません。

本人がなぜ一人で歩きたいのかを理解し、安全に希望を実現できる方法を探す必要があります。

手を添えることで歩けるのか。

環境を整えれば危険を減らせるのか。

本人が納得できる支援方法はないのか。

そうした検討こそが、本人の意思と安全の両方を大切にするケアにつながるのだと思います。

つまり「嘘をつかないこと」も「本人の言葉を否定しないこと」も、それ自体が目的になってはいけないのです。

どちらも、本人の尊厳や安心、その人らしい生活を守るための大切な考え方です。

しかし、その原則を守ることに意識が向きすぎると、本来大切にしたかった本人の姿が見えなくなってしまうかもしれません。

尊厳を守るとは、何を守ることなのか

尊厳は、言葉だけで守れるものではない

介護の現場では「尊厳を守る」という言葉がよく使われます。

もちろん、非常に大切な考え方です。

しかし、その言葉を使うだけで、尊厳が守られるわけではありません。

「嘘をつかないから尊厳を守っている」

「本人の言葉を否定しないから尊厳を守っている」

そのように単純に考えてしまうことには、注意が必要だと思います。

例えば、本人の希望をすべて受け入れることが、必ずしも本人の望む生活につながるとは限りません。

反対に、安全や健康を理由に本人の希望を制限することが、必ずしも適切な支援になるとも限りません。

尊厳とは、何か一つの決まりを守れば達成できるものではないはずです。

その方がどのような人生を歩んできたのか。

何を大切にし、何を嫌がり、どのような暮らしを望んでいるのか。

今、何を感じているのか。

そうしたことを理解しようとする姿勢が、尊厳を守るための出発点になるのだと思います。

本人の笑顔と平穏を大切にする

私は、認知症ケアにおいて、本人の笑顔や穏やかな生活は非常に大切なものだと考えています。

もちろん、いつも笑顔でいることが、その方にとっての幸せとは限りません。

悲しいときには悲しみ、怒りたいときには怒ることも、一人の人間として自然な感情です。

本人の不満や悲しみを無理に消そうとすることが、よいケアとは限らないでしょう。

それでも、日々の生活の中で安心して過ごせること。

自分の思いを受け止めてもらえること。

大切にされていると感じられること。

そうした積み重ねが、その方らしい穏やかな暮らしにつながっていくのだと思います。

そのために必要なのは、単に正しいことを伝える技術ではありません。

また、本人の話に合わせる技術だけでもありません。

本人の言葉の背景にある思いを理解し、その方にとって何が大切なのかを考え続けることです。

そして、ときには自分たちが正しいと思っている対応についても、疑問を持つことが必要なのではないでしょうか。

出典:「Do people with dementia find lies and deception in dementia care acceptable?」
   「Is therapeutic lying contradictory to person-centred care? Toward understanding the connection」

まとめ|嘘をつかないことは、目的ではなく原則の一つ

認知症の方に嘘をつくことは、決して軽く考えてよい問題ではありません。

嘘によって本人の信頼を失ったり、自己決定の機会を奪ったり、尊厳を傷つけたりする可能性があるからです。

そのため、嘘をつかないことを基本とする姿勢は大切だと思います。

しかし、その一方で、正しい事実を伝えることが、必ずしも本人にとって適切な対応になるとは限りません。

本人が感じている世界を理解せず、ただ事実を繰り返し伝えることで、かえって不安や悲しみを強めてしまうこともあります。

また、本人の世界を否定しないために、必ず嘘をつく必要があるわけでもありません。

事実を肯定することなく、本人の感情を受け止める方法もあります。

まずは、そのような関わりを大切にするべきでしょう。

それでも対応が難しい場合には、本人の状況や尊厳、自己決定、信頼関係などを踏まえ、慎重に別の方法を考える必要があります。

私たちが守りたいのは「嘘をつかなかった」という職員自身の正しさなのでしょうか。

それとも、目の前にいるその方の尊厳や安心、その人らしい暮らしなのでしょうか。

もちろん、本人のためという理由があれば、どんな嘘でも許されるわけではありません。

しかし、嘘をつかないことだけを絶対的な正しさとしてしまえば、私たちは本人の思いよりも、自分たちの倫理観を優先してしまうかもしれません。

嘘をつかないことを原則としながら、嘘をつかないこと自体を目的にしない。

そして、

本人の世界を否定しないことを大切にしながら、本人の言葉に無条件に合わせることも目的にしない。

その両方を意識しながら、本人にとって何が最善なのかを考え続けること。

そこに、認知症ケアの難しさと、専門性があるのではないでしょうか。

嘘をついたかどうかだけで、ケアの善し悪しが決まるわけではありません。

大切なのは、その言葉を選んだ理由と、本人にどのような影響があったのかを振り返ることです。

そして、私たちの対応が、本当にその方のためになっているのかを問い続けることだと思います。


次回の記事について

今回は、認知症ケアを受ける本人の視点から、嘘と尊厳の関係について考えました。

しかし、現場で実際に対応する介護職員にも、さまざまな葛藤があります。

「嘘をついてはいけない」という倫理観と「目の前の方を安心させたい」という思い。

その間で悩むことも少なくありません。

次回の『尊厳と嘘のバランス②|介護職員のモラル』では、介護職員に求められる正しさや倫理観が、現場でどのような葛藤を生むのかについて考えていきたいと思います。

参考文献・出典

この記事では、以下の資料・論文などを参考に、認知症介護の現場での視点を加えて解説しています。

ここにんでは、認知症介護を”楽にする”ためのヒントとなるような考え方、技術をたくさん発信しています。

詳しくは ➡【はじめての方へ ここにんってどんなブログ?】をご覧ください!

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