※この記事は、認知症グループホームで10年以上勤務し、現在は管理者として働く筆者が執筆しています。
ご本人・ご家族・介護職員、それぞれの立場をふまえたケアの視点をお届けします。
【この記事で伝えたいこと】
認知症ケアにおいて大切なのは「嘘をつかないこと」そのものではなく、本人の尊厳や安心、自己決定を守ることです。
この記事では、ホワイトライ・ブラックライ・治療的な嘘の違いを整理しながら、嘘をつくことの是非だけにとらわれず、本人にとって何が最善なのかを考えるための視点を解説します。
【要点】
- ホワイトライ・ブラックライ・治療的な嘘の違いが分かる
嘘の目的や背景による違いを整理し、善意による嘘であっても、必ずしも本人のためになるとは限らない理由を解説します。 - 「嘘をつく/つかない」の二択ではないケアの考え方を解説
本人の感情を受け止める関わりやバリデーションの考え方を通して、真実を押しつけることも、安易に嘘をつくこともしない、第三の選択肢を紹介します。 - 本人の尊厳と安心を守るための5つの判断基準が分かる
嘘を使う目的、代替手段、自己決定への影響、長期的な信頼関係、チームでの振り返りなど、本人にとって何が最善なのかを考えるための専門的な視点を解説します。
【この記事で分かること】
・ホワイトライ・ブラックライ・治療的な嘘の違いと、それぞれの注意点
・「嘘をつく/つかない」の二択にとらわれず、本人の思いに寄り添うための考え方
・本人の尊厳・安心・自己決定を守るために、介護職員が大切にしたい5つの判断基準
家族介護・介護職のどちらでも、嘘の善悪だけで判断せず、本人にとって何が大切なのかを考え、よりよいケアにつなげるための内容です。
※詳しい説明・根拠・事例は、このあと本文でやさしく解説します。
はじめに|嘘をつかないことは、本当に正しいケアなのか?
「認知症の方であっても、嘘をついてはいけない」
介護の現場では、このような考え方を耳にすることがあります。
もちろん、嘘をつかないことは大切です。
私たちは日常生活においても、相手に対して誠実であること、正直であることを大切にしています。
それは介護の現場でも変わりません。
しかし、認知症ケアにおいては、正直であることと、本人の安心や尊厳を守ることが、必ずしも一致しない場面があります。
例えば、すでに亡くなっている夫について「お父さんはまだ帰ってこないの?」と尋ねる方がいたとします。
その方に対して「ご主人はもう亡くなっていますよ」と伝えることは、事実としては正しい対応です。
しかし、その方が夫の死を忘れており、伝えるたびに初めて聞いたかのように深く悲しむのであれば、私たちはその事実を何度でも伝え続けるべきなのでしょうか。
一方で、本人を安心させるためだからといって「もうすぐ帰ってきますよ」と伝えることが、常に正しいとも思いません。
その言葉を信じて、いつまでも夫の帰りを待ち続けるかもしれないからです。
では、私たちはどうすればよいのでしょうか。
この「尊厳と嘘のバランス」シリーズでは、これまで二つの視点から、認知症ケアと嘘について考えてきました。
第一部では、認知症の方の世界を尊重することと、事実を伝えることの間に生じる葛藤について。
第二部では、「嘘をついてはいけない」という介護職員のモラルや、専門職としての倫理観について。
そして第三部となる今回は、ホワイトライ、ブラックライ、治療的な嘘という考え方を紹介しながら、実際の介護現場では何を基準に判断すればよいのかを考えていきたいと思います。
最初に、私自身の考えをお伝えしておきます。
嘘をつかないことは大切ですが、嘘をつかないこと自体が、認知症ケアの目的ではないと思っています。
だからといって、嘘をつくことを積極的に肯定したいわけでもありません。
大切なのは、その言葉や対応によって、本人の何を守ろうとしているのか。
そして、その対応が本当に本人のためになっているのかを、考え続けることではないでしょうか。
嘘には種類がある|ホワイトライとブラックライ
私たちは普段、嘘を「事実とは異なることを伝える行為」として捉えがちです。
しかし、同じ嘘であっても、その目的や背景によって、意味は大きく異なります。
その違いを考えるための言葉として、ホワイトライとブラックライがあります。
ホワイトライとは?
ホワイトライ(White Lie)とは、一般的に、相手への思いやりや配慮からつく嘘を指します。
例えば、誰かが一生懸命作ってくれた料理について、本当は少し苦手な味であっても「おいしいですね」と伝えることがあります。
あるいは、相手が必要以上に傷つかないように、事実をそのまま伝えることを控える場合もあります。
もちろん、これらがすべて適切だというわけではありません。
しかし、相手を傷つけたいわけではなく、むしろ相手の気持ちを大切にしたいという意図があることは理解できると思います。
認知症ケアでも、これに近い場面があります。
例えば、亡くなった家族を心配している方に対して、強い悲しみを繰り返させないよう「今は出かけていますよ」などと事実とは異なる説明をする場合です。
一方で、事実を直接伝えることを控え、本人の気持ちを受け止める対応もあります。
この二つは似ているようで、必ずしも同じではありません。
嘘をつくことと、事実を伝えずに本人の感情に寄り添うことは、区別して考える必要があります。
また、ここで注意したいのは、善意からついた嘘であれば、必ず本人のためになるとは限らないということです。
安心させるつもりの言葉が、結果として本人を混乱させたり、信頼関係を損なったりする可能性もあります。
ブラックライとは?
ブラックライ(Black Lie)は、嘘を倫理的に分類する考え方の中で、自分の利益や保身のために、相手を欺くような嘘を指す言葉として使われることがあります。
例えば、自分の失敗を隠すために「私はやっていません」と伝えること。
介護現場であれば、対応を忘れていたにもかかわらず「もう対応しました」と記録したり、事故の経緯を隠したりする行為が挙げられます。
このような嘘は、本人や家族の信頼を損なうだけでなく、安全を脅かす可能性もあります。
ただし、ホワイトライとブラックライは、嘘を倫理的に考えるための一般的な区分であり、すべての嘘を明確に二分できるわけではありません。
現実には、善意と自己都合が入り混じっていることもあるからです。
「本人のため」と「職員のため」は簡単に分けられない
例えば、帰宅願望のある方に「あとで帰れますよ」と伝えたとします。
本人の不安を和らげたいという気持ちがあったのであれば、ホワイトライのようにも見えます。
しかし、その言葉を使った理由が、職員の忙しさや対応の難しさから逃れるためだったとしたら、どうでしょうか。
さらに、本人がその言葉を信じて帰宅の準備を始め、帰れないことを知って強く混乱したのであれば、結果として本人のためになっていたとは言えないかもしれません。
つまり、嘘の善悪は、言葉だけを取り出して判断できるものではないのです。
誰のために、何を目的として、どのような結果を想定して伝えたのか。
そこまで考える必要があると思います。
治療的な嘘とは?|認知症ケアで議論される考え方
認知症ケアにおける嘘を考えるうえで、もう一つ知っておきたい言葉があります。
それが「治療的な嘘(Therapeutic Lying)」です。
治療的な嘘とは、認知症の方などに対して、真実をそのまま伝えることで強い苦痛や害が生じる場合に、本人の負担を軽減する目的で、事実とは異なる説明をすることを指します。
ただし、これは医学的な治療効果が確立された方法という意味ではありません。
また、誰にでも積極的に使うべき標準的なケア技術というわけでもありません。
あくまでも、本人の状態や状況に応じて、倫理的な観点から慎重に検討される対応の一つです。
亡くなった家族を探す方への対応
例えば、認知症の方が「お母さんはどこにいるの?」と尋ねたとします。
その方のお母さんは、すでに何十年も前に亡くなっています。
しかし、本人の中では、お母さんがまだ生きている時代の感覚が強く残っているのかもしれません。
このとき「お母さんはもう亡くなっています」と伝えることは、事実としては正しい対応です。
ただ、その事実を理解し続けることが難しく、伝えるたびに大きな悲しみを感じる場合には、別の対応を考える必要があるでしょう。
例えば、
「お母さんのことが気になるんですね」
「お母さんは、どんな方だったんですか?」
と声をかけることもできます。
それでも強い不安が続き、ほかの方法では苦痛を和らげられない場合に、事実とは異なる説明を検討することが、治療的な嘘の議論につながります。
ただし「お母さんは買い物に行っていますよ」と伝えれば、必ず安心するとは限りません。
「いつ帰ってくるの?」という新たな不安を生むかもしれませんし、その説明を繰り返すことで不信感につながる可能性もあります。
そのため、治療的な嘘を使うかどうかは、本人の反応や理解力、生活歴などを踏まえて考える必要があります。
治療的な嘘は「嘘をついてもよい」という許可ではない
ここは、特に誤解してほしくない部分です。
「治療的」という言葉がついているからといって、嘘をつくことが無条件に正当化されるわけではありません。
本人を安心させる目的があっても、自己決定を妨げたり、信頼関係を損なったりする可能性があります。
例えば、薬を飲みたくないと訴える方に「これはお菓子ですよ」と伝えて服薬させることを、安易に治療的な嘘として正当化することはできません。
そこには、本人の意思や服薬の必要性、同意のあり方、薬剤の安全性など、別の重要な問題があるからです。
治療的な嘘は、介護職員が自由に使える便利な方法ではありません。
本人にとっての利益と不利益を比較し、ほかの方法を検討したうえで、それでも必要なのかを考えるものだと思います。
出典:Alzheimer’s Society「Is it okay to lie to someone with dementia?」
嘘の種類と、認知症ケアにおける考え方
| 種類 | 意味・目的 | 介護現場での例 | 注意点 |
|---|---|---|---|
| ホワイトライ | 相手を傷つけないための、思いやりや配慮から生まれる嘘 | 亡くなった家族を探す方に、悲しみを和らげようとして「今は出かけていますよ」と伝える | 善意であっても、混乱や不信感につながる場合がある |
| ブラックライ | 自分の利益や保身のために、相手を欺く嘘 | 職員のミスを隠すため、事実とは異なる説明をする | 本人の権利や安全、信頼関係を損なう |
| 治療的な嘘 | 真実を伝えることで生じる強い苦痛や害を避けるため、例外的に用いる嘘 | 亡くなった家族について繰り返し深く悲しむ方に、ほかの対応では苦痛を和らげられない場合、事実とは異なる説明をする | 最初から選ぶ方法ではなく、本人への影響や代替手段を慎重に検討する |
このように、同じ「嘘」であっても、その目的や背景によって意味は異なります。
しかし、ホワイトライだからといって、必ずしも正しい対応になるわけではありません。
相手への思いやりから生まれた嘘であっても、結果として本人を傷つけたり、自己決定の機会や信頼関係を損なったりすることがあります。
大切なのは、嘘の種類によって対応の正しさを決めることではなく、その言葉が本人にどのような影響を与えるのかを考えることなのだと思います。
※ホワイトライとブラックライは、主に嘘の意図や倫理的性質に着目した区分です。
一方で、治療的な嘘は認知症ケアなどの場面で、その目的や使用条件に着目した概念です。
そのため、治療的な嘘がホワイトライに含まれる場合もあり、完全に独立した3種類というわけではありません。
嘘をつかずに寄り添うこともできる|第三の選択肢
ここまで読むと、認知症ケアでは「真実を伝える」か「嘘をつく」かの二択しかないように感じるかもしれません。
しかし、実際にはそうではありません。
私は、この二つの間にある対応こそ、介護職員が大切にしたい部分だと思っています。
それは、事実を無理に肯定することも、否定することもせず、本人の感情や思いに目を向けることです。
本人の言葉の背景を考える
例えば「家に帰りたい」と繰り返す方がいたとします。
このとき「ここがあなたの家ですよ」と伝えても、本人が納得するとは限りません。
一方で「もうすぐ帰れますよ」と嘘をつけば、その場は落ち着くかもしれませんが、問題が解決したとは限りません。
そもそも、なぜ帰りたいのでしょうか。
家族に会いたいのかもしれません。
慣れない環境に不安を感じているのかもしれません。
何か役割を果たさなければならないと思っているのかもしれません。
あるいは、トイレに行きたい、身体が痛い、周囲が騒がしいといった不快感が、帰宅願望として表れている可能性もあります。
だからこそ、本人の言葉を表面的に受け止めるだけでなく、その背景を考えることが必要なのです。
「帰りたいんですね」
「何か気になることがありますか?」
「よかったら、お話を聞かせてもらえませんか?」
こうした関わりから、本人の気持ちや困りごとが見えてくることもあります。
ただし、帰宅願望の背景を、介護職員が勝手に決めつけることにも注意が必要です。
「寂しいから帰りたいんでしょう」と決めつけるのではなく、本人の反応を確かめながら理解しようとする姿勢が大切です。
バリデーションとの関係
このような考え方は、認知症ケアの技法の一つである「バリデーション」とも関連しています。
バリデーションでは、本人の言葉を事実として無条件に肯定するのではなく、その背景にある感情や思いを理解し、受け止めることを大切にします。
例えば「お母さんが迎えに来る」と話す方に対して、
「そうですね。もうすぐ迎えに来ますよ」
と事実ではない約束をするのではなく、
「お母さんに会いたいんですね」
と気持ちに目を向けることができます。
もちろん、これだけですべての不安が解消するわけではありません。
しかし、嘘を使わなくても、本人の世界を否定せずに関わる方法があるということは、知っておきたいと思います。
そして、本人が実際に困っていることがあれば、話を聞くだけで終わらせず、具体的な支援につなげることも必要です。
「本人のための嘘」が「職員のための嘘」になるとき
私は、介護現場における嘘の問題で、特に注意したいことがあります。
それは、最初は本人のためだった対応が、いつの間にか職員の都合を優先する対応に変わってしまう可能性です。
例えば、入浴を嫌がる方がいたとします。
職員は、皮膚の清潔を保ちたい、健康状態を確認したいという思いから、何とか入浴してもらおうとします。
その気持ち自体は理解できます。
しかし「お風呂には入りませんよ」と伝えて浴室へ誘導し、本人が嫌がっているにもかかわらず入浴させたとしたら、どうでしょうか。
たとえ清潔を保つという目的があっても、本人を欺き、意思を無視することが適切なケアとは言えません。
また、忙しい時間帯に何度も同じ質問をされると、職員も疲れてしまうことがあります。
最初は本人の不安を和らげようとしていた言葉が、いつの間にか質問を終わらせるための言葉になってしまうこともあるでしょう。
ここで大切なのは、職員が疲れることや、業務を円滑に進めたいと考えること自体を否定しないことです。
介護は、限られた人員と時間の中で、多くの方の生活を支える仕事です。
職員自身にも負担や限界があります。
しかし、その現実があるからこそ、本人のための対応と、職員の都合による対応を混同しないことが必要なのだと思います。
また、ホワイトライとブラックライの境界は、必ずしも明確ではありません。
本人の安心と職員の負担軽減が、同時に実現することもあります。
だからこそ「誰のための嘘か」という問いだけではなく、
その対応によって本人の権利や尊厳が損なわれていないかという視点も欠かせないのです。
本人が穏やかなら、それでよいのか?
ここでもう一つ、考えておきたい問題があります。
それは、本人が笑顔になったり、穏やかになったりすれば、その対応は正しかったと言えるのか、ということです。
認知症ケアにおいて、本人が安心して穏やかに過ごせることは、とても大切です。
しかし、それだけを唯一の判断基準にしてしまうことには危うさがあります。
例えば、本人にとって重要な情報を伝えず、本人が不安を感じないようにすることは、一見すると優しい対応に見えるかもしれません。
しかし、その情報が本人の意思決定に必要なものであれば、知らせないことによって、本人が選択する機会を奪っている可能性があります。
また、認知症があるからといって、悲しみや怒りを感じてはいけないわけではありません。
大切な人を亡くした悲しみも、自分の思いが伝わらない悔しさも、その人の人生の一部です。
介護職員が本人を傷つけたくないと思うあまり、本人が真実を知る権利や、自分の感情を持つ権利まで奪ってしまっては、本末転倒ではないでしょうか。
もちろん、認知症の症状によっては、事実を理解し続けることが難しく、同じ悲しみを繰り返し経験する場合もあります。
そのようなときには、伝える内容や方法、タイミングを慎重に考える必要があります。
重要なのは、本人の認知機能だけで判断するのではなく、その方が何を理解でき、何を望み、どのような影響を受けるのかを考えることです。
本人の尊厳を守ることは、単に不安や悲しみを取り除くことではありません。
その人が一人の人間として尊重され、自分の人生を生きることを支えることでもあると思います。
嘘を使う前に、介護職員が考えたい5つのこと
では、実際の介護現場で、嘘をつくかどうか迷ったときには、何を基準に考えればよいのでしょうか。
私は、少なくとも次の五つの視点が必要だと思います。
① その言葉は、本当に本人のためなのか
まず考えたいのは、誰のためにその言葉を伝えようとしているのか、ということです。
本人の不安を和らげたいのか。
それとも、職員が対応を終わらせたいのか。
もちろん、両方の気持ちが存在することもあるでしょう。
だからこそ、自分の意図を振り返ることが大切です。
② 嘘を使わずに対応する方法はないか
事実を伝えるか、嘘をつくか。
その二択だけで考えないことも重要です。
本人の感情を受け止める、伝え方を工夫する、環境を整える、時間を置いて話す。
こうした方法によって、嘘を使わずに安心につなげられる場合もあります。
嘘は、最初に選ぶ方法ではなく、ほかの対応を検討したうえで慎重に考えるものだと思います。
③ 本人の自己決定や尊厳を損なっていないか
本人が安心したとしても、その対応によって選択する機会を奪っていないでしょうか。
本人が知るべき情報を、職員の判断だけで隠していないでしょうか。
認知症があっても、その方の意思や価値観は尊重されるべきものです。
本人の利益を考えることと、本人の意思を無視することは、決して同じではありません。
④ その場だけでなく、長期的な影響も考えているか
その場では安心したとしても、後になって混乱することはないでしょうか。
職員の説明が人によって異なれば、不信感につながるかもしれません。
また、一度使った嘘を繰り返さなければならなくなる場合もあります。
目の前の反応だけではなく、その後の生活や信頼関係まで考える必要があります。
⑤ その対応をチームで説明し、振り返ることができるか
認知症ケアは、一人の職員だけで完結するものではありません。
特に、事実とは異なる説明をすることが必要だと考えた場合には、その理由や本人の反応をチームで共有することが大切です。
なぜその対応を選んだのか。
ほかに方法はなかったのか。
本人はどう反応したのか。
今後も同じ対応を続けるべきなのか。
こうしたことを振り返り、必要に応じて対応を見直すことが、専門職としての責任につながると思います。
家族や関係職種との情報共有も重要ですが、家族が了承したからといって、本人の意思を無視してよいわけではありません。
あくまでも中心にいるのは、ケアを受ける本人です。
介護職員のモラルとは、正しさを守り続けることなのか
第二部では、介護職員に求められるモラルについて考えました。
今回のテーマにも、その考え方はつながっています。
私は、介護職員のモラルとは、決められた正しさを何も考えずに守り続けることではないと思っています。
もちろん、守るべき法律や倫理、専門職としての原則はあります。
しかし、認知症ケアでは、同じ言葉や対応であっても、本人の状態や生活歴、置かれている状況によって、意味が変わることがあります。
ある方には安心につながる言葉が、別の方には不安を強める言葉になるかもしれません。
昨日は適切だった対応が、今日は適切ではないこともあるでしょう。
だからこそ、介護職員には、原則を理解したうえで、その方にとって何が最善なのかを考える力が求められるのだと思います。
「嘘をついてはいけないから、事実を伝えました」
その説明だけで、専門職としての責任を果たしたと言えるのでしょうか。
反対に、
「本人のためだったので、嘘をつきました」
という説明だけでも、十分とは言えないはずです。
なぜその対応を選んだのか。
どのような選択肢を検討したのか。
本人にどのような影響があったのか。
そこまで考え、説明し、必要であれば自分の対応を見直すこと。
それが、介護職員に求められるモラルの一つなのではないでしょうか。
嘘をつかないことを目的にしない|私が大切にしたいこと
ここまで、ホワイトライ、ブラックライ、治療的な嘘について考えてきました。
私は、認知症ケアにおいて、嘘を積極的に使うべきだとは思っていません。
嘘を使わずに、本人の思いを受け止め、安心して生活していただけるのであれば、それが望ましい対応だと思います。
しかし、その一方で「嘘をつかないこと」が目的になってしまうことにも、違和感があります。
そもそも、なぜ私たちは嘘をつかないことを大切にしているのでしょうか。
それは、相手を一人の人間として尊重したいからではないでしょうか。
信頼関係を築きたいからではないでしょうか。
相手を傷つけたり、欺いたりしたくないからではないでしょうか。
つまり、嘘をつかないという行為には、その先に守りたいものがあるはずです。
それなのに「嘘をつかない」という原則を守ることだけに意識が向き、目の前の方が繰り返し傷ついているのであれば、私たちは何のためにその原則を守っているのか、考え直す必要があると思います。
ただし、ここで誤解してほしくないのは、本人の安心のためであれば、真実を隠してよいということではありません。
本人には、真実を知る権利も、自分で選ぶ権利もあります。
悲しみや不安を感じることさえ、その方の人生の一部かもしれません。
だからこそ、私たち介護職員が勝手に「この人には真実を伝えない方が幸せだ」と決めつけることも、避けなければなりません。
嘘をつかないことも、嘘をつくことも、それ自体を目的にしない。
大切なのは、その方が何を望み、何を大切にし、どのように生活していきたいのかを理解しようとすること。
そして、その方の尊厳と安心、自己決定をできる限り守るために、考え続けることなのだと思います。
そして、その答えを探すうえで大切なのは、最も近くでその方を支え続けてきた人たちが、日々の関わりの中で積み重ねてきた理解なのだと、私は思います。
まとめ|正しさを押しつけず、本人のために考え続ける
今回の記事では、認知症ケアにおける嘘について、ホワイトライ、ブラックライ、治療的な嘘という視点から考えてきました。
ホワイトライは、相手への思いやりから生まれる嘘です。
ブラックライは、自分の利益や保身のために相手を欺く嘘として捉えられます。
そして治療的な嘘は、認知症ケアにおいて、真実を伝えることによる重大な苦痛や害を避けるため、例外的に検討される対応です。
しかし、これらの言葉を知ったからといって、介護現場での判断が簡単になるわけではありません。
善意から始まった対応が、本人のためにならないこともあります。
事実を伝えることが、本人を深く傷つけることもあります。
一方で、本人を安心させるために真実を隠すことが、自己決定の機会を奪ってしまうこともあります。
だからこそ、私たちは、嘘をつくかつかないかという二択だけで判断するのではなく、その方にとって何が大切なのかを考える必要があるのだと思います。
認知症ケアに、すべての方に当てはまる唯一の正解はありません。
しかし、正解が一つではないからといって、何をしてもよいわけではありません。
本人の尊厳を守ること。
本人の意思を尊重すること。
安心して生活できるように支えること。
そして、自分たちの対応が本当に本人のためになっているのかを、振り返り続けること。
私は、そうした姿勢こそが、認知症ケアに携わる私たちに求められるものだと思っています。
「嘘をつかないこと」が正しいのではなく、
「なぜ嘘をつかないことが大切なのか」を忘れないこと。
そして、例外的に嘘を使うことを考えるのであれば、その必要性と責任から目を背けないこと。
ここまでの三回を通して、私が大切にしたいと考えてきたのは、そのことです。
認知症の方の尊厳を守るために、私たちは何を大切にするべきなのか。
その問いに向き合い続けることが、よりよい認知症ケアにつながっていくのではないでしょうか。
次回|尊厳と嘘のバランス④へ
ここまで、ホワイトライ・ブラックライ・治療的な嘘という考え方を通して、認知症ケアにおける嘘の目的や、本人の尊厳との関係について考えてきました。
しかし、認知症の方の安心を守るための工夫は、必ずしも言葉によるものだけではありません。
例えば「バスが来ないバス停」という取り組みをご存じでしょうか。
そこには、実際にはバスが来ないにもかかわらず、バス停が設置されているという、一見すると不思議な光景があります。
このような取り組みは、認知症の方を欺くための「嘘」なのでしょうか。
それとも、本人が感じている世界を否定せず、その思いに寄り添うための工夫なのでしょうか。
次回は、この「バスが来ないバス停」を題材に、これまで考えてきた嘘と尊厳の関係を、具体的な実践例から掘り下げていきたいと思います。
本人の世界に寄り添うことと、現実を偽ること。その境界線は、どこにあるのでしょうか。
これまでの三回で考えてきたことを踏まえながら、認知症ケアにおける「嘘」の意味を、もう一度問い直してみたいと思います。
【尊厳と嘘のバランス|全4回】
認知症ケアにおける「嘘」を、本人の尊厳、介護職員のモラル、嘘の種類とその倫理的な判断、そして具体的な実践例という4つの視点から考えるシリーズです。
① 認知症ケアとして考える「嘘」
② 介護職員のモラルと「嘘」
③ ホワイトライ・ブラックライ・治療的な嘘(本記事)
④ バスが来ないバス停から考える、本人の世界に寄り添うケア
参考文献・出典
この記事では、以下の資料を参考に、認知症介護の現場での経験と、管理者としての視点を交えて考察しています。
- Alzheimer’s Society「Is it okay to lie to someone with dementia?」(2024年)
― 認知症の人に真実を伝えること、感情を受け止めること、治療的な嘘を使うことについて、対応の選択肢と注意点を解説した資料。 - Mental Health Foundation『What is truth? An inquiry about truth and lying in dementia care』(2016年)
― 認知症ケアにおける真実と嘘の倫理的な問題を検討した報告書。本人の尊厳、信頼関係、真実を伝えることによる苦痛などについて考えるための資料。 - Casey, D. ほか「Telling a ‘good or white lie’: The views of people living with dementia and their carers」『Dementia』(2020年)
― 認知症のある人と介護者の、ホワイトライに対する考え方を調査した質的研究。相手を思いやる嘘であっても、本人との関係性や状況を踏まえて判断する必要性を考えるための論文。 - Wheaton, A.「Balancing honesty and benevolence in dementia care: A commentary on therapeutic lies and codes of ethics」『Journal of Nursing Management』(2022年)
― 認知症ケアにおける正直さと善意のバランスを論じた論考。本人の苦痛を避けるための治療的な嘘について、倫理的に許容される条件を考えるための文献。 - Byers, P.「Truthfulness and Deceit in Dementia Care: An Argument for Truthful Regard as a Morally Significant Human Bond」『Kennedy Institute of Ethics Journal』(2021年)
― 認知症のある人に対しても誠実であることの重要性を論じた論文。善意による嘘であっても、本人の尊厳や信頼関係を損なう可能性があることを考えるための資料。 - Feil, N.『The Validation Breakthrough: Simple Techniques for Communicating with People with “Alzheimer’s-Type Dementia”』Health Professions Press.(1993年)
― 認知症の人の言葉や行動の背景にある感情を理解し、受け止めるバリデーションの考え方に関する文献。嘘を使わずに本人の思いに寄り添う対応を考えるための参考資料。
※本記事の具体的な事例は、認知症ケアで起こり得る状況を説明するための例示です。また、嘘と尊厳の関係についての結論には、筆者自身の介護経験と考察を含みます。
※治療的な嘘の倫理的な許容範囲については、研究者や専門家の間でも異なる見解があります。本記事は、嘘を使うことを一律に推奨するものではありません。
※書籍へのリンクは主に書誌情報を確認するためのものであり、全文を閲覧できるとは限りません。
ここにんでは、認知症介護を”楽にする”ためのヒントとなるような考え方、技術をたくさん発信しています。
詳しくは ➡【はじめての方へ ここにんってどんなブログ?】をご覧ください!
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