※この記事は、認知症グループホームで10年以上勤務し、現在は管理者として働く筆者が執筆しています。
ご本人・ご家族・介護職員、それぞれの立場をふまえたケアの視点をお届けします。
【この記事で伝えたいこと】
「良かれと思っているケア」であっても、その関わり方や解釈によっては、ご利用者の力や尊厳を奪ってしまうことがあります。
食事・服薬・接し方といった日常のケアの中には、気づきにくい“当たり前のズレ”が潜んでいます。
この記事では、現場で起こりやすい5つの事例を通して、なぜそのズレが起こるのか、そしてどう見直していくべきかを解説します。
【要点】
- 「良かれと思っているケア」がズレてしまう構造が分かる
食事・服薬・接し方・解釈といった日常ケアの中で、なぜ無意識のズレが生まれてしまうのかを、現場の状況や心理から読み解きます。 - 日常ケアに潜む“見落としやすいリスク”が具体的に理解できる
過介助による能力低下、服薬時の配慮不足、食事の楽しみの喪失、関係性の誤認、都合のいい解釈など、現場で起こりやすい問題を具体例とともに解説します。 - ケアの質を守るための実践的な見直し視点が分かる
「本当に必要な介助か」「その関わりは適切か」と立ち止まる視点や、現場ですぐに活かせる具体的な判断基準と行動のポイントを解説します。
【この記事で分かること】
・食事・服薬・接し方に潜む“当たり前のズレ”とそのリスク
・「良かれと思っているケア」がズレてしまう理由と背景
・現場で実践できる、ケアを見直すための具体的な視点と方法
家族介護・介護職のどちらでも、日々のケアの質を見直し、安心と尊厳を守る関わりがすぐに実践できる内容です。
※詳しい説明・根拠・事例は、このあと本文でやさしく解説します。
はじめに
そのケア、本当に“良かれと思って”できていますか?
介護施設は「生活の場」です。
しかし、その生活の中で行われているケアが、
いつの間にか「施設の都合」や「職員の当たり前」にすり替わってしまうことがあります。
特に、食事や服薬といった“毎日行うケア”は、
習慣化しやすく、疑問を持たれにくい分、ズレが起こりやすい領域です。
そしてその多くは――
悪意ではなく、「良かれと思って」行われていることがほとんどです。
だからこそ厄介で、気づきにくい。
この記事では、
食事・服薬・基本ケアの中に潜む「当たり前のズレ」を5つ取り上げ、
そのリスクと、現場でできる見直しの視点を解説していきます。
食事介助を“しすぎて”しまう
食事介助に必要な視点
食事介助は、決して悪いことではありません。
むしろ、安全に食事を摂るために必要な支援です。
しかし注意したいのは
「できることまで介助してしまっていないか」
という視点です。
例えば
・手が止まっている
・時間がかかっている
そんな場面で、職員がすぐに介助に入ってしまうことがあります。
一見すると「優しさ」ですが、実はここに大きなリスクがあります。
本来の目的は「食べるという行為を支えること」です。
ペースを無視した介助や、一方的な声かけは
楽しみであるはずの食事を「作業」に変えてしまいます。
“やってもらうこと”が能力を奪う
特に認知症の方は『繰り返し行うことで保たれている能力』が多くあります。
そのため
・やってもらうことが続く → やり方を忘れてしまう
・自分でやる機会が減る → やらなくなってしまう
という変化が起こりやすくなります。
つまり「楽にするための介助」が「できなくする原因」になる可能性があるのです。
タイミングを奪うことで誤嚥リスクが高まる
もう一つ重要な視点が“食べるタイミング”です
自分で食べる場合
・口に入れる量
・飲み込むタイミング
を無意識に調整しています。
しかし介助になると
・口に入れる量が一定になる
・本人のタイミングとズレる
ことで
👉 むせ
👉 誤嚥
のリスクが高まることがあります。
“待つこと”も大切なケア
食事介助で大切なことは
「やること」ではなく「見極めること」です。
・本当に介助が必要か
・どこまでなら自分でできるか
を見極めることが
👉 生活を守るケア
👉 自立を支えるケア
につながります。
時には
“待つこと”
“見守ること”
こそが、最も重要な関わりになるのです。
「できることを残すこと」も、立派なケアです。
床に落ちた薬を“そのまま”渡す
現場で起こりやすい“見落とされがちな場面”
服薬の場面では
・手元が不安定
・口元まで運ぶ途中で落としてしまう
・手のひらから滑り落ちてしまう
といった理由で、錠剤が床に落ちてしまうことがあります。
このような場面は、現場では決して珍しいことではありません。
しかしその時に
床に落ちた薬をそのまま拾って渡してしまう
という関わりになっていないでしょうか。
もちろん薬は洗うことができません。
ですが
・表面をしっかりと拭き取る
・別の日にセットしてあるものと交換する
といった配慮はできるはずです。
「自分だったらどう感じるか」という視点
そして何より大切なのは「自分だったらどう感じるか」という視点です。
床に落ちた薬を、当然のように再び差し出される。
その行為を受けたとき、
違和感や不快感を抱かない人は少ないのではないでしょうか。
介護の現場では「当たり前」になってしまっていることでも、
一歩引いて考えることで見えるものがあります。
落とさないための工夫も“ケアの一部”
こうした問題を防ぐためには
落ちてからの対応だけでなく、落とさないための工夫も重要です。
例えば
・スプーンに出して服薬してもらう
・一包化された袋のまま口腔内に入れる
・服薬ゼリーを使用する
といった方法があります。
これらは単なる“やり方”ではなく
・安全に
・安心して
・尊厳を守りながら
服薬していただくための工夫です。
服薬は「飲めればいい」ものではありません。
その過程そのものが、ケアの質を決めているのです。
食事を“混ぜて”提供する
効率の裏にある“尊厳の低下”
複数のおかずをまとめてご飯に乗せ、まるで丼ぶりのようにして提供する。
この背景には
・職員が食事にかける時間を短くしたい
・介助をスムーズに進めたい
といった現場の事情があることも少なくありません。
しかしその中で
👉 本人に何も聞かずに混ぜてしまう
👉 「どうせ分からないから」とご飯におかずを乗せてしまう
といった関わりになっていないでしょうか。
さらにエスカレートすれば
薬を食事の中に混ぜてしまう
といったケースも見られます。
ですが「分からないだろう」は、本当にそうでしょうか。
「食べてもらえればいい」という発想になっていないか
私たちはときに
「食べてもらえればいい」
「栄養が摂れればいい」
という視点になってしまいがちです。
しかし、たとえ認知症になったとしても、
“生きるためだけに食事をしている人”は少ないのではないでしょうか。
食事は
・目で楽しみ
・匂いで楽しみ
・味で楽しみ
・食感で楽しむ
人にとって、とても大切な時間です。
食事を“作業”にしてしまっていないか
だからこそ、食事を“作業”にしてしまっていないかという視点が必要です。
効率を優先した関わりは
・選ぶ自由
・感じる楽しみ
・その人らしい食事
を少しずつ奪ってしまう可能性があります。
食事は「生活」であり「楽しみ」である
食事は、どんな人にとっても
楽しみを感じられる機会であるべきではないでしょうか。
そして、尊厳を守るために働く私たちだからこそ
『その時間をどう支えるか』を意識する必要があります。
食事の場面は
「生きるための栄養補給」ではなく
「生活そのもの」です。
その楽しみをどう創り、どう守るか。
それもまた、
生活を支える介護職の大切な役割ではないでしょうか。
友達のような接し方
距離の近さ=良い関係、ではない
「仲良くなること」は大切です。
ですが、“友達のような接し方”が必ずしも良いとは限りません。
例えば――
・タメ口で話す
・あだ名で呼ぶ
・軽く注意する(「ダメでしょ〜」など)
一見、関係性が良さそうに見えますが、
・尊厳の低下
・指示が伝わらない
・関係性の誤認(職員=友達)
といった問題につながることがあります。
特に認知症の方にとっては、
関係性の枠組みが曖昧になることで、不安や混乱を招くこともあります。
「親しみ」と「馴れ合い」は違う。
この線引きが、ケアの質を大きく左右します。
親しみやすさは“技術”であり“習慣”ではない
ケアの手段としての「親しみやすさ」は、決して否定されるものではありません。
むしろ、相手に安心して生活していただくための、大切な関わり方の一つです。
例えば、緊張が強い方に対してあえて柔らかい言葉で関わる、
不安が強い場面で距離を近づける――
こうした関わりは、ケア技法の一つとして非常に有効です。
しかしここで重要なのは、
それが「意図して使っているものかどうか」です。
ケアとしての親しみやすさと、
“なんとなくいつもその態度になっている”状態には、天と地ほどの差があります。
この線引きが曖昧なまま関わってしまうと、
知らず知らずのうちに「馴れ合い」へと変わってしまいます。
「親しさ」が必要になる場面もある
親しみのある対応は、その線引きが難しいがゆえに、
施設によっては「トラブルを防ぐために一律NG」としているところもあるでしょう。
それも一つの考え方です。
ただ一方で――
「相手はお客様である」という前提を大切にしながらも、
認知症ケアにおいては、それを上回る“親しさ”が必要になる場面があるのも事実です。
迷ったときは「敬語・丁寧語」
だからこそ大切なのは、「使い分け」です。
そして、もしそれが難しいのであれば、
基本は敬語・丁寧語で関わるべきです。
“誰に対しても安定して提供できる関わり方”として、
それが最も安全で、信頼を守る方法だからです。
都合のいい解釈
“拒否”の裏にある本当の理由
「この人は拒否が強いから」
「この人は食べない人だから」
こうした言葉で片付けてしまうことはありませんか?
しかしその裏には、
・体調不良
・姿勢の問題
・環境要因(騒がしい・暑いなど)
・ケア方法のミスマッチ
といった理由が隠れていることが少なくありません。
それを見ようとせず、
「その人の問題」にしてしまうことは、
ケアの放棄に近い状態です。
“都合のいい解釈”は、忙しさの中で無意識に生まれやすいものです。
だからこそ、意識的に疑う視点が必要です。
「解釈」がケアを歪めてしまうとき
この“都合のいい解釈”が常態化してしまうと、
さらに深刻なズレが生まれることがあります。
それは――
ご利用者の言葉や意思が、知らず知らずのうちに
「職員側の都合」によって解釈されてしまうことです。
例えば、
職員にとって都合の良い場面では、
「ご本人の意思だから」「無理にやるべきではない」としてケアを行わない。
一方で、都合の悪い場面では、
「認知症だから理解できない」「言っても分からない」として、説明や関わりを省いてしまう。
こうした関わりが積み重なると、
本来大切にすべきご利用者の意思や言葉が、
知らず知らずのうちに“都合のいい形”へと変えられてしまうことがあります。
「やらない理由」が正当化されてしまう構造
このように、
・やらない理由は“本人の意思”に
・関わらない理由は“認知症”に
すり替わってしまうことがあります。
本来であれば、その言葉の背景にある理由を探り、
どうすれば実現できるか、どうすれば理解していただけるかを考えるのがケアの役割です。
しかし、解釈が歪んでしまうと、
・必要なケアを諦める
・提供すべきサービスを行わない
・結果として、その責任を“ご本人側”に置いてしまう
といった状態に陥る可能性があります。
それは決して、特定の誰かが悪いわけではなく、
忙しさや余裕のなさの中で、無意識に起こり得るものです。
だからこそ、
「この解釈は、本当に本人のためになっているのか?」と
立ち止まって考える視点が必要なのです。
【なぜ起こるのか(背景)】
これらの問題の多くは、個人の意識ではなく、
構造的な要因から生まれています。
・人手不足による時間的余裕のなさ
・教育や振り返りの不足
・「昔からこうだから」という文化
・忙しさの中での思考停止
つまり、
誰か一人が悪いわけではない。
だからこそ必要なのは、
個人の努力ではなく、「チームでの見直し」です。
“当たり前”を疑うことは、
現場を否定することではありません。
むしろ、より良くしていくための第一歩です。
【現場でできるワンアクション】
・「今の介助、本当に必要か?」と一度止まる
・服薬時は“飲み込むまで確認”を徹底する
・混ぜる前に「本当に必要か」をチームで共有する
・言葉遣いを1日1回意識して振り返る
・「なぜ?」を1回多く考える習慣を持つ
おわりに
今回取り上げた5つは、どれも
「悪いことをしている」という意識がなく行われているものです。
むしろ――
良かれと思って、効率を考えて、現場を回すために行われている。
だからこそ難しい。
ですが、ここに気づけるかどうかが、
ケアの質を大きく分けます。
介護とは、「正しいことをする仕事」ではなく、
「問い続ける仕事」なのかもしれません。
👉 日常ケアの“当たり前”を見直したい方へ
特におすすめ
・② ケア編
→ 日々のケアに潜むリスクを改めて見直したい方へ
・⑥ 自立支援・関わり方編
→ “良かれと思っているケア”のズレに気づきたい方へ
👉 日々のケアを“本当にその人のためか”で見直したい方へ
→ ⑨ ケアの本質・価値観編(総まとめ)
ここにんでは、認知症介護を”楽にする”ためのヒントとなるような考え方、技術をたくさん発信しています。
詳しくは ➡【はじめての方へ ここにんってどんなブログ?】をご覧ください!
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