認知症ケア提供の向き不向き
以前の記事(こちらとこちらです)では、認知症ケアとは何か、何のためにケアを提供するのか、という事についてお伝えさせていただきました。
言うなれば『優しさから始まり、笑顔に繋げていくケア』が、認知症ケアなのだと思います。
目の前で困っている人に対する優しさがあれば、どんな人でも、そこから認知症ケアをスタートさせることが出来ます。
そんな簡単な認知症ケアですが、実は『(どちらかといえば)不向きな人』と『(どちらかといえば)向いている人』がいることも、事実です。
では『不向きな人』と『向いている人』とは、どのような人なのでしょうか。
家族:これまでの姿への思いの強さ
認知症ケアを行うのに(どちらかといえば)不向きな人とは、実は『家族』です。
もちろん、全ての方が当てはまる訳ではありません。そうではない家族が多いことも知っています。
しかし、認知症の身内を抱える家族の方にこそ『認知症ケアを提供するのに不向きである』という傾向が強く表れてしまっていることは、間違いありません。
家族が認知症ケアを提供することを困難にしている原因は
・過去の姿と現在の姿のギャップ
・認知症の方への思いの強さ
の2点であるように思えます。
つまり『しっかりしていた頃の姿と今を重ねて介護をしている』ことと『自分にとって大切な人であるからこそ、今が受け入れられない』という複雑な思いが、認知症ケアの起点である『優しさ』を、無意識のうちに遠ざけてしまっているのです。
職員:これからの姿への思いの強さ
一方で、認知症ケアを行うのに(どちらかといえば)向いている人とは、『介護職員』だと思います。
介護職員と家族の最大の違いは、培った専門性でも、蓄えた知識や経験でもなく、『認知症となった方と、全くの他人である』という事です。
特にグループホームにおいては、利用の必須条件として『認知症である』ことが求められます。
つまり『認知症になる前はどうだった』とか『認知症でどうなった』という、過去に関する情報はそれほど重要ではなく、過去と今を比べてショックを受ける、ということはまずありません。
そして介護職員はそこに『知識』『経験』『専門性』などを加え、ケアを提供します。
ただし『すべての情報が重要ではない』という事ではありません。
認知症となったその方のこれまでの生活歴や経緯は、ケアの方針を定める時に役立てたり、関わり方のヒントにするために必要です。ただ、それらの情報をもとに、介護職員の何かが揺らぐことは無いということです。
他人である介護職員は、父親としてのその方の姿も、母親としてのその方の姿も、実際に目にしたことはありません。
だからこそ、今現在のその方に対して、何の偏りもない思いで向き合うことができます。
それは、他人だからこそ持てる強みであると私は思っています。
様々な選択肢を持つ重要性
家族は、これまでを見返しながら介護を行います。
職員は、これからを見据えてケアを提供します。
もちろん、全ての家族がこう、全ての職員がこう、ということは絶対にありません。
介護職員以上に認知症ケアに長けたご家族の方がごまんといることも、間違いありません。
大切な人が認知症を患ってしまった時、家族だからこそ、今の姿に苦しみ、先が見えずにいら立ち、対応に悩んでしまうと思います。
その時には、自分を責め続けるのではなく、思い切って『誰かの手を借りる』という選択肢を選ぶ勇気も必要です。
そしてその選択の先は、お互いの幸せに繋がっているということを、知っておいていただきたいと思います。
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