「寄り添い」と「優しさ」とは何か 〜認知症ケアに求められる意識と姿勢〜

認知症ケアについて
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※この記事は、認知症グループホームで10年以上勤務し、現在は管理者として働く筆者が執筆しています。

ご本人・ご家族・介護職員、それぞれの立場をふまえたケアの視点をお届けします。

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📝 この記事の要約

【この記事で伝えたいこと】

認知症ケアで語られる「寄り添い」や「優しい言葉」は、単なる丁寧な対応や声かけのことではなく、相手の人生や不安に目を向け続ける専門的な姿勢です。
この記事では、言葉遣い・結果・評価に縛られがちな現場の中で、寄り添いの本質と、支援者自身を守りながら実践するために欠かせない視点を解説します。


【要点】

  1. 「寄り添い」が分からなくなる理由が見えてくる
    抽象的に使われがちな「寄り添い」「優しい言葉」が、なぜ現場で迷いや苦しさを生むのかを、文化的背景や支援者側の心理、評価の構造から読み解きます。
  2. 丁寧語だけでは届かない『優しさ』の正体が分かる
    敬意としての言葉遣いを前提にしながら、生活歴・距離感・言葉の選び方といった視点から、相手にとって本当に安心につながる寄り添いの在り方を解説します。
  3. 結果に縛られず、支援者自身を守る寄り添いの考え方が分かる
    うまくいかない関わりも含めて肯定し、評価や結果だけで測られない寄り添いの捉え方と、現場で迷い続けること自体を専門性として大切にする視点を示します。

【この記事で分かること】

・「寄り添い」や「優しい言葉」が現場で分からなくなってしまう理由
・丁寧語・敬語を前提にしながら、相手に届く関わり方を考える視点
・口調を崩すことが専門的な選択になる場合と、そうでない場合の違い
・生活歴や言葉の使い方など、その人の人生に合わせて寄り添う考え方
・優しさを「与えた側」ではなく「相手が感じたかどうか」で捉える視点

家族介護・介護職のどちらにとっても「どう関わるか」「どう悩めばいいか」が整理され、安心と尊厳を大切にしたケア判断ができるようになる内容です。

※詳しい説明・根拠・事例は、このあと本文でやさしく解説します。

認知症ケアの現場では、
「寄り添いが大切」
「優しい言葉で接しましょう」
という言葉を、誰もが一度は耳にしたことがあると思います。

研修でも、マニュアルでも、日々の申し送りでも、当たり前のように使われる言葉です。

しかし一方で、現場に立つ職員や、認知症の家族を支える人の多くが、心のどこかでこう感じているのではないでしょうか。

寄り添いって、結局なに?
優しい言葉って、どういう言葉?
丁寧に話しているのに、なぜかうまくいかないのはなぜ?

この記事では「寄り添い」「優しい言葉」という一見わかりやすい言葉を、もう一度立ち止まって考えてみたいと思います。

「寄り添い」は知っている。でも説明できない

認知症ケアに関わる人で「寄り添いが大切」ということを知らない人は、ほとんどいないと思います。

にもかかわらず、

  • 寄り添っているつもりなのに拒否される
  • 優しく声をかけているのに、不穏になる
  • 何が正解なのか分からなくなる

こうした経験は、決して珍しくありません。

それは「寄り添い」という言葉が、あまりにも抽象的なまま使われているからではないでしょうか。

「寄り添いましょう」という言葉は、行動を指示しているようでいて、実は、何も具体的には教えてくれません。

優しい言葉=丁寧な言葉、ではない違和感

認知症ケアの現場では、

  • 敬語で話しましょう
  • 丁寧な言葉遣いを心がけましょう

という指導がされることが多いと思います。

これはとても大切なことです。

まず最初に、はっきり書いておきます。

丁寧語・敬語で接することは、基本であり前提です

認知症になったとしても、その人の尊厳が失われるわけではありません。
相手を一人の大人として尊重する姿勢は、言葉遣いにも表れます。

その意味で、丁寧語や敬語は「形式」ではなく、敬意そのものです。

ここを軽視してはいけません。

それでも「丁寧なのにうまくいかない」場面がある

ただし、現場にいると、こんな経験もあるはずです。

  • 丁寧に説明しているのに、かえって混乱する
  • 敬語で距離を保つほど、不安そうな表情になる
  • 砕けた一言の方が、安心したように笑ってくれる

このとき、多くの職員は迷います。

丁寧語を崩していいのだろうか
失礼にならないだろうか
これはプロとして正しいのか?

この迷い自体は、とても誠実な姿勢だと思います。

口調を崩すことは「テクニック」である

ここで大切なのは、
口調を崩すこと=無礼
ではない、ということです。

ただし、条件があります。

口調を崩すのは「選択」であって「代替」ではない

  • 丁寧語や敬語を使える
  • その上で、相手を見て
  • 意図を持って
  • あえて口調を崩す

これは、立派なケアの技術です。

一方で、

  • 敬語が使えない
  • 丁寧に話すのが苦手
  • 無意識に砕けた口調になる

これを「寄り添い」や「優しさ」と呼ぶことはできません。

できないから砕けているのと、
分かった上で崩しているのは、まったく別物です。

寄り添いとは「言葉遣い」ではなく「視点」

では、寄り添いとは何なのでしょうか。

それは、
「どんな言葉を使ったか」ではなく、
どこに意識を向けていたか
にあると、私は思います。

  • この人は、今なにに困っているのか
  • なにが不安なのか
  • なにを守ろうとしているのか

正解を伝えることよりも、
こちらの都合よりも、
「この人の世界」を起点に考えようとする姿勢。

それが、寄り添いの本質ではないでしょうか。

その人の人生に合わせた『寄り添い』とは何か

寄り添いを考えるうえで、もう一つ大切にしたい視点があります。
それは、相手の生活歴や職業、これまで使ってきた言葉に目を向けることです。

人は長い人生の中で、安心できる言葉の調子や距離感を身につけてきました。
たとえば、職人気質の方に対して、過度に丁寧で回りくどい説明が、かえって不安や苛立ちを生むことがあります。
逆に、少し砕けた端的な言葉の方が、「分かってくれている」と感じられる場合もあります。

また、方言も同じです。
方言は単なる言葉の違いではなく、その人の暮らしや人間関係が染み込んだ“安心の言語”です。
標準語で正しく説明することよりも、相手が使い慣れた言葉にこちらが歩み寄ることで、表情が和らぐ場面は少なくありません。

● 相手の人生に合わせて、言葉を選び直す

これは迎合でも、甘やかしでもありません。
相手の世界に合わせて、こちらが言葉を選び直すという、立派な専門性です。

相手の人生に敬意を払い、相手が「自分らしくいられる言葉」を探そうとすること。
それもまた、寄り添いであり、相手にとっての優しさを磨いていく姿勢なのだと思います。

優しさは「相手が感じたかどうか」で決まる

もう一つ、大切なことがあります。

それは、
優しさは、与えた側ではなく、受け取った側が決める
ということです。

  • 丁寧に話したから優しい
  • 正しい説明をしたから優しい

とは限りません。

相手が安心したか、
少し楽になったか、
笑顔が戻ったか。

そこにこそ、優しさの結果があるのではないでしょうか。

寄り添いは、いつも「うまくいく」わけではない

寄り添いを考えるとき、もう一つ忘れてはいけないのは、
寄り添いは常に成功するものではないという現実です。

どれだけ相手のことを考えて言葉を選んでも、
不安が強い日もあれば、拒否が返ってくる日もあります。
そのたびに「自分の関わりが悪かったのではないか」と、
介護者がすべてを背負い込んでしまうことがあります。

● 『寄り添い』は、結果だけで決まるわけではない

けれど、認知症の症状や感情の揺らぎは、
支援者の言葉や態度だけで左右できるものではありません。
寄り添いとは、相手の感情を思い通りにすることではなく、
相手の状態に目を向け続けようとする姿勢そのものです。

うまくいかなかった関わりの中にも、
相手を尊重しようとした視点や、考え抜いた選択があったなら、
それは決して無意味ではありません。

寄り添いとは、結果だけで評価される技術ではなく、
揺れながら、迷いながらも、相手の世界を起点に考え続けること。
その積み重ねこそが、専門職としてのケアなのだと思います。

寄り添いは「自分を守る技術」でもある

寄り添いを「我慢」や「自己犠牲」と勘違いしてしまうと、
介護者は確実に疲弊します。

でも、寄り添いを
「相手の世界に一歩だけ足を踏み入れる技術」
と捉えると、見え方が変わります。

  • 無理に分かろうとしなくていい
  • 正解を出さなくていい
  • 否定しない選択をするだけでいい

これは、介護する側の心を守ることにもつながります。

寄り添いが「苦しくなる」瞬間について

寄り添いや優しさが難しく感じられる背景には、
現場の中でそれらが評価や指導の言葉として使われてきた側面もあるのではないでしょうか。

● 『寄り添い』が評価されてしまう時

「もっと寄り添って」
「その言い方は優しくない」

こうした言葉は、本来は相手を思って使われるものです。
けれど、具体的な基準が共有されないまま投げかけられると、
受け取った側は「自分は足りていない」「間違っているのかもしれない」と、
理由の分からない不安を抱えてしまうことがあります。

● 結果だけで関わりを判断しないために

寄り添いは、目に見える行動だけで測れるものではありません。
声に出さなかった配慮や、迷いながら選んだ言葉、
一歩引くという判断の中にも、確かな専門性があります。

それを「うまくいったかどうか」や
「相手がその場で落ち着いたかどうか」だけで判断してしまうと、
介護者は結果に振り回され、関わること自体が怖くなってしまいます。

寄り添いとは、完璧さを求められる態度ではなく、
考え続ける姿勢を互いに認め合う文化の中で、育っていくものなのだと思います。

「寄り添えない自分」を責めなくていい

最後に伝えたいのは、これです。

寄り添えないと感じる瞬間があるからといって、
あなたが冷たい人間なわけでも、
介護に向いていないわけでもありません。

目の前で困っている人に笑顔になってもらうために、迷い、考え「自分はどう関わるのがいいのか」と悩んでいる――
ただそれだけで、あなたはもう十分に相手を大切にして、寄り添っているのです。

おわりに

「寄り添い」も「優しい言葉」も、簡単な正解があるものではありません。

だからこそ、考え続けることそのものが、認知症ケアにおける寄り添いなのだと思います。

丁寧語を大切にしながら、ときに口調を崩す選択も含めて、その人にとっての安心を探し続ける。

それが、プロとしての寄り添いではないでしょうか。

ここにんでは、認知症介護を”楽にする”ためのヒントとなるような考え方、技術をたくさん発信しています。

詳しくは ➡【はじめての方へ ここにんってどんなブログ?】をご覧ください!

参考記事

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